江戸名所巡り  第六回 亀戸・向島を巡る(後編)

 

13時過ぎに後半がスタートしました。

 

ここ区役所やアサヒビールの敷地は江戸時代には秋田藩佐竹氏の下屋敷があり造養園という庭園だったことをと知りました。隅田川沿いにアサヒビールのビルを見上げて勝安房(海舟)の像を見上げました。スカイツリーの上方が雲に隠れていました。

2時前に着いた隅田公園は水戸藩邸下屋敷跡で広さが2万坪程だったとの事です。まず尊王攘夷者の藤田東湖の漢詩の碑を見ました。昭和19年6月、南の島で玉砕が相次いだ時に東湖会が建立したとの事です。小じんまりとした大名庭園を回遊しながら足元が悪い中、滑らないように一歩一歩進みました。清澄庭園の小型版のように思えました。

直ぐ隣の牛島神社に入りました。平安初期の創建で牛頭天王社と稲田姫御前の夫婦を祀っています。撫で牛もあり包丁塚と牛の慰霊像もありました。そしてこちらの鳥居の形が何とも立派で三輪鳥居という形でしばし皆で拝見しました。

名所図会の当時の大きな牛島神社の絵を眺めて、次の三囲神社へと進みました。こちらは古くは田中稲荷と称し江戸時代三井家の鬼門に当たる事で、深く尊信したとのことでした。三越池袋店にあったライオン像や三井邸より移した三柱鳥居もありました。

目尻の下がった狛狐は大変ほほえましくてカメラおさめる人が大勢いらっしゃいました。奥の方に三井家の先祖を祀る社があり小雨の中にひっそりとありました。又、基角の雨乞の句碑も興味深く見る事ができました。こちらの稲荷の白狐を手なずけていたという老婆老翁像もしっかりと祀られていました。元禄の頃、人民の願い事をこの老夫婦が白狐に頼むと叶えられたそうです。

14時過ぎに黄檗宗洪福寺に入りました。屋根が二階建てになった立派な本堂が目に入りました。勝海舟が少年時代に座禅に通ったとの事です。咳の翁媼尊を祀っていて風邪よけのお札もありました。風邪の心配な人はしっかりとお願いしました。資料を見るとこちらも素晴らしい名所図会が描かれてありました。

すぐ側の天台宗長命寺へと進みました。こちらは長寿を願う江戸町民の雪見や花見の名所として賑わっていました。家光の腹痛を治したという井戸水は長命水と名付けられ、今も水滴が手水として落ちていました。

十返舎一九の辞世の狂歌、芭蕉の句碑、木の実ななさんの言葉の石碑もありました。此の辺りの出身とのことです。

裏の隅田川に面した長命寺桜餅のお店へと急ぎました。丁度、おやつの時間です。享保2年(1717)隅田川の桜の葉を塩漬けにして餅を包んで門前で売ったのが始まりとの事です。面白い小噺を聞きながら店内の赤い毛氈に腰かけてお茶と共に頂きました。すぐ見えている隣には言問団子店があり、こちらは江戸末期の創業です。一皿630円で三色のあんこの団子でこちらの方を頂いた方もいらっしゃいました。

一休みした後、本日の最後の地に向かって頑張って歩きました。王貞治さんが子供のころ練習していた小さな球場がありました。

本日も残り少なくなりました。白髭神社祭神は猿田彦命です。平安末期に近江の白髭神社を勧請し向島百景の一つとして白髭の森と呼ばれたそうです。

幕臣の外国奉行であった岩瀬忠震の石碑がありました。

すこし戻り向島百花園に到着しました。文化・文政時代(1804~30)骨董商の佐原鞠塢が文人・墨客の協力でこの花園(新梅屋敷)を開きました。雨の日でしたので鑑賞したい人とそうでない人に分かれましたので、ここで本日の解散といたしました。65歳以上は70円です。少しの間ですが萩、あけび、へびうり、ひょうたん、ききょう等々を見て廻りました。芭蕉句碑や日本橋石柱を見つけたり萩のトンネルを楽しみ帰路に付きました。

9月は秋雨前線と台風の影響で雨の中の何と多かった事でしようか。皆様お疲れ様でした。十月は秋晴れの元、巡れますように!!

 

霧雨の川に向き食むさくらもち 幸子

団栗の転がる社人疎ら     豊治

秋雨や御手に経ある観世音   慶月

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