江戸名所巡り  第六回  亀戸、向島を巡る(前編)

25日(火)15名、27日(木)13名、29日(土)16名、どの日もどこかで雨に見舞われましたが第6回目の江戸名所巡りをとり行いました。JR総武線亀戸駅を10時に元気よく出発しました。

 

10分位で真言宗東覚寺に入りました。1531年玄覚法印の開山で燈籠は延宝9年(1681)飛騨国主金森頼時とありました。上野寛永寺のもので葵の御紋がちやんと入っていました。

 

 

又、江戸中期の僧侶で是心軒一露が創始した華道の松月堂古流の碑がありました。心なしか供花も華道のものらしく感じると講師は話すのですが・・・・。

3,4分で次の亀戸香取神社に着きました。藤原鎌足がこの地を訪れ太刀一振りを納め旅の無事を祈願したのが始まりで、平将門討伐の藤原秀郷も戦勝を祈願して勝利したので勝矢を奉納した故事からスポーツの神として多くが参拝しています。

平成28年に置かれた勝石に触れ、復元された亀ケ井戸も見ました。境内社がずらりと並んであり、稲足社は足の神様という事で皆様と一緒にちやんと歩ける様にしっかりとお詣りしました。

 

亀戸大根碑があり、その存在を知りましたが現在は葛飾区の三軒の農家が作っていてすこし苦味があるとの事です。

雨雲に見え隠れするスカイツリーを見ながら5分位進むと吾嬬神社がありました。日本武尊を助ける為に弟橘媛命が海に身を投げ、遺品が辿りついた所に塚を築いたのが始まりと言われています。日本武尊が樟の箸を地に刺すとそれが根付いたという連理の樟は枯れて木の皮のみが立っている状態でした。

奥の本殿の狛犬の小ささに思わず笑いがおこりました。

山県大弐の碑もありました。享保10年(1725)甲斐に生まれて皇室の衰えは幕府にあることを非難して42歳で死罪になりました。

通りに戻り2,3分で亀戸梅屋敷跡がありました。呉服商伊勢屋が3600坪の庭に300株の梅を植えて清香庵と名付けたとの事です。名所図会では着飾った人々が梅を見物しています。臥龍梅とは、ここを訪れた水戸光圀が命名したとの事で吉宗も鑑賞したと言われています。一説には、吉原の初代高尾太夫の鉢植えの梅をこの地に移したのが大きくなったとも伝わっています。

通りを折れ南に歩くと11時頃に普門院に着きました。うっそうとした木々の中を進み奥にある伊藤左千夫の墓を拝見しました。野菊の墓やアララギを思いました。錦糸町辺りで牛を飼い酪農をしたという話は興味深いものでした。

物がいたる所に置かれていて、この雑然さは何故かと不思議に感じましたが、持経観音の美しいお姿には見とれてしまいました。

又、2〰3分で着いたのは亀戸天満宮でした。火曜日は丁度里神楽のお囃子の演奏中でした。

まず左手奥に見た事もない狛犬に塩を盛り上げている塩狛犬がいました。こちらで塩断ちをして願い事が叶うと塩を奉納したと言います。その左には重い物に耐え忍ぶ龍の子供のヒイキの像もありました。

そして亀戸天神社の拝殿にお詣りしました。土曜日には、七五三をお祝いする姿を見かけました。民権運動の中江兆民の碑は大きいものでした。

累卵の碑を過ぎ、鷽替え神事の碑や五歳の道真公の像、又、道真の師を祀っている御嶽神社とその左手にある塩原太助が寄進したという石燈籠もありました。

次は道真の妻と子供が祀れれている花園神社にも詣りました。芭蕉句碑に思いを馳せ、琴字燈籠を見て金沢の兼六園を思い浮かべました。とても盛沢山です。

筆塚の側には櫂の木あり見上げながら御手洗い休憩をとりました。中国原産の櫂の木は孔子廟に弟子の子貢が植えたと伝わっていて湯島聖堂の脇でも見ました。

こちらの天満宮は藤がとても立派で広重の絵でもとても美しく手前に描かれています。

船橋屋は文化2年(1805)創業の葛餅屋さんです。小麦粉を練って蒸し黒蜜ときな粉で頂きます。「大江戸風流くらべ」の甘いもの番付で横綱にランクインしたものですから食べてみる価値はあると思い購入しました。天気が悪いにも関わらず次々とお客が訪れていました。

 

天台宗の龍眼寺には11時分頃に着きました。江戸時代には萩寺と呼ばれていただけあり今が見頃の萩が咲き揃ってした。芭蕉句碑や其角の碑があり、三猿が上にある面白い庚申塔も見ました。

柳島橋を渡ると正面にスカイツリーが見えています。12時過ぎに妙見山法性寺に入りました。

妙見堂の中を拝見すると白い紙垂のような物が垂れ下がり、神様か仏様かよく分からない祀り方で中央からリボンが伸びていて参拝者が引くような仕組みでした。

此方には侠客上萬の墓がありとても珍しく目を引きました。近松門左衛門の墓や歌川豊国の筆塚の断片もありました。

お昼の場所はまだかしらの声がちらほら聞こえる中、午前中最後の場所へ向かいました。12時半頃にコンクリートのビルの日蓮宗春慶寺に着きました。通りに面した所に四世鶴屋南北の墓がありました。四谷怪談の作者です。我々は寄贈した歌舞伎役者の名前ばかり見入ってしまいました。

火曜日、木曜日は隅田区役所へ、土曜日は区役所が休みなので近くのお店での自由昼食としました。区役所ではその名もムサシランチ!お値段が630円を美味しくいただきました。

後編に続きます。

 

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