第十四回 江戸名所を巡る 下総国府界隈(後編)

50分位の食事休憩を取り1時過ぎに出発しました。

大きな欅の下に下総国総社跡とありました。総社はその国の六ケ所の神社を集めたところで下総一宮は香取神社、二宮は寒川神社(船橋市)とも玉崎神社(旭市)とも云われ他は不明との事です。

市川市のスポーツセンターの入り口に感激像があります。オリンピックのヘルシンキ大会(昭和27年)で左はレスリング金メダルの石井庄八さん、右は体操銀メダルの上道忠夫さんをモデルにした銅像です。なんと逞しい姿でしようか。

バス通りを歩き東京医科歯科大教養部の内部に入らせてもらいました。少し進むとすぐに小さな森があり、そこが法皇塚古墳だと知りました。袖型横穴式石室がある58m、高さ5mの前方後円墳です。私たちは後に回り形がよく見える場所でしっかり眺めました。

再び通りに出て国府台病院の先の信号付近が上総国からの古東海道らしいとの事でそちらの方向を眺めてから又進みました。

午前中に弘法寺の砲兵連隊碑を見ましたが、その連隊のレンガ塀が残っていました。

直ぐの道の反対側に式正織部流茶道の少し荒れているようにも見える茶室がありました。古田織部正重然は信長、秀吉、家康に仕えた3万石の大名で千利休の弟子で秀忠はじめ諸大名に茶法を伝授していましたが大阪夏の陣で豊臣方に内通した疑いで切腹、一族は滅びました。しかし古田家の傍系により茶道は継承されているとの事です。講師から一番わかりやすいのは織部焼きですよと云う説明にあーと皆様納得された様子でした。木下間の中に茶室と隣接する部屋があり人影を感じました。

里見公園の横の道を通り14時頃に総寧寺へと入りました。とても格式の高い寺でここで行列を解かなければいけない下馬石が門の前にありました。関宿城主の小笠原政信夫婦の墓である五輪塔があり高さが7m余、空・風・火・水・地が彫られていました。

里見公園の横を通ると国府台城跡の表示がありました。文明10年(1478)扇ケ谷上杉の家臣である太田道灌が陣を構えたのが始まりとの事です。

ばら園を横目に見ながら羅漢の井へと降りていきました。江戸名所図会にも描かれたもので谷地の湧水地です。

坂を登ると北原白秋がしばらく住んでいた家屋と歌碑がありました。

展望が開けていて広重の「鴻の台とね川風景」の場所が広がっていました。矢切の渡しのある場所の表示もありました。

少し土地が尾根のようになっている場所の先に石棺が2基ありました。全長40mの前方後円墳を歩いていたのです。太田道灌が千葉孝胤を攻めた時に築城し盛り土が失われ石棺が剥き出しになったのです。

近くに里見軍戦死者の慰霊碑が並びその傍に夜泣き石が石棺の蓋を台座に置かれてありました。夜泣き石とは国府台合戦で戦死した里見弘次の末娘がはるばる安房から父の霊を弔う為に来て石にもたれて泣き明かし亡くなってそうです。その晩から泣き声が聞こえたので人々は夜泣き石と呼んだとの事です。

里見公園内の薔薇園をやっと見学できる休憩が15分位ですがありました。丁度、見頃の薔薇に私たちは酔いしれました。プリンセスミチコ、アイコ等、美しく香りの何と良い事でしようか。市川市の薔薇も入口付近にありました。それぞれに写真を撮り堪能しました。

里見公園に別れを告げしばらく歩きました。和洋女子大の側付近くに下総国府跡があったとのことです。下総国駅井上(イカミ)と書いた土器や軒瓦。和同開珎などが出土しているのでこの辺とされたそうです。

千葉商科大学を下ると国府神社がありました。日本武尊が陣を張り武蔵国に向かおうとした時にコウノトリが浅瀬を教えてくれ無事、武蔵国に着きました。その事から下総のこの台地を鴻の台としました。脇の階段は上らずに、この中腹で話を済ませました。

通りの右手の土手を上がり市川関所跡を見ました。関所には軽き関所と重き関所がある事を知りました。ここは重き関所という事で江戸へ入る人、出る人を取り締まったそうです。

薔薇の町を打ち出している市川に別れを告げ、江戸川を渡り武蔵国に入りました。北小岩の交差点を過ぎガード下を潜ると小岩の一里塚跡です。ただ立看板があるだけでした。日本橋から四里という事です。

又来た道を戻り5分位で日蓮宗本蔵寺に着きました。こちらは関所役人を代々勤めた中根氏の館跡で菩提寺です。

すぐ傍に真言宗豊山派宝林寺がありました。関所にあった常夜灯が移されていました。刻みのしっかりした文化元年(1806)の庚申塔を見ました。三面の恐ろしい顔をした馬頭観音も拝見する事ができました。

道標は安永4年(1775)のもので慈恩寺道標と言われ埼玉県岩槻の慈恩寺へ参詣する信者の為のものです。御番所町跡がありました。佐倉道と元佐倉道とが合流するところで岩槻道にも接する交通の要所でした。

2~3分で本日最後の北野天神です。そっくりの鳥居が重なるように立っていました。梅と稲を一緒にした赤色の紋が特徴です。江戸時代この地にあった稲荷神社と北方に北野神社が明治42年に合併し昭和31年に須賀神社を合祀しました。ごろごろと力石が並べられていました。これは三宮卯ノ助が持ち上げた石です。「中山道でも桶川宿の稲荷神社に大盤石が在りましたね」と講師は言いました。

すぐ傍のガード下に江戸川駅がありました。木曜日は人数の関係で4時半になりましたが火、土曜日は30分程、早く終了しました。

千葉商科大学食や薔薇園といつもと異なる名所巡りができました。皆様、疲れさまでした。

江戸名所巡り第一部はあと二回となりました。皆様大いに楽しみましょう。

 

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