江戸名所巡り 第九回  西新井界隈を巡る(前編)

12月11日(火)、13日(木)、15日(土)、風邪など体調を崩された方がいらっしゃいましたが、大半の方々は寒さにめげず名所巡りを楽しみました。10時に東武スカイツリーラインの五反野駅を出発しました。

しばらくするとゆめロード千代田の商店街に入っていき、甘納豆の店やら蔵造りの質屋が目に留まりました。

つき当りを右に折れ10時15分位に最初の説明があった子育八彦尊道標に着きました。元は荒川堤にあったもので八彦尊は子供の咳の神様です。

その後ろにある石不動祠は竹筒に酒を入れて供え、その酒を耳に付けると耳の病が治るという信仰です。治ったらお礼はまた、竹筒に酒を入れて納めるのです。

5分位で真言宗豊山派明王院に着きました。地元では赤不動と呼ばれていて、建物が赤いからということです。奥に大きな銀杏の黄色がまだ残っていて、色彩的にとても綺麗でした。

頼朝の伯父にあたる志田義広が当地に閉居し祈願寺としました。

弁天池の向こうに小さな弁天堂が見えました。ずっと進むと牛頭観音があり馬だけでなく牛も祀られていました。我慢強く働く牛の姿を私たちは思うのでした。

小泉寧夫算法碑は門人たちが建立したとの事です。こちらでは梅田村出身の和算家が開いた和算塾が盛んだった事を示しています。

そして咳の不動さまのお顔を木曜日、土曜日は扉を開けて拝見しました。

5分位で庚申塔等のある石造物のお堂がありシヨケラや頭の蛇を見ました。欲望や誘惑に打ち勝つ為の石像物を私たちはしばし眺めて進みました。

 

神明宮通りに入り参道を進み10時50分頃に梅田神明社の鳥居を潜りました。

祭神は天照大神で後に神官であった禊教の教祖井上正鐵が神道行法を始め、現在にも受け継がれています。

木曜日に準備していました茅の輪が土曜日にはできていました。奥殿の横に井上神社と井上正鐵の住居がありました。又、禊教の高弟名が刻まれた碑もありました。

直ぐ側には真言宗遍照院がありました。明治7年の宝篋印塔がありました。隣接するように梅田稲荷奥の一角に禊教の井上夫妻の墓が並んでありました。

叉、5、6分位で真言宗大聖寺のボロボロの天水桶を見ました。天保7年、江戸谷中講中が寄進したものです。

11時20分頃、関原通りを進みました。関原八幡宮の八紘一宇の碑は大東亜圏建設の理念として用いられた言葉です。

この妙見堂の地に昭和7年興野の雷神を移し中曽根神社としたそうです。私達は元総理の中曽根康弘氏の顔を思い浮かべながら説明を聞きました。

44分発、土曜日は39分発の東武バスに乗る為にバス停へと急ぎました。十分余裕をもって到着しましたが、バスはかなり遅れてやって来ました。

12時過ぎに西新井大師前に着き一時間のお昼の休憩とお買い物タイムを楽しみました。

火曜日は武蔵屋さんが休みで清水屋さんも貸切でしたので申し訳ありませんでした。木、土はそれぞれ江戸時代から続く茶店のお昼を味わいました。

後編に続きます。

 

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