第二部 7回 田端・王子界隈を巡る(後編)

飛鳥山公園で昼食を取り50分後に集まりました。標高25メートルで23区で二番目の高さです。日本で最初に制定された公園の一つです。

享保5年(1720)、徳川吉宗が吹上御殿で育てた1270本の山桜を植え江戸最大の花見の名所を造りました。そして吉宗は王子権現に寄進し市民に開放したのでした。向島と共に仮装も許されたとの事です。江戸繁花の番付では前頭の二番目でした。佐久間象山櫻賦の碑が大きく聳えていました。明治15年に勝海舟が同門やその弟子たちと建立したものです。正面の文字は象山の筆跡を刻んだとの事です。

都電三ノ輪橋行きが走っているのを見ました。10分位歩くと芝生の向こうに赤レンガ造りの建物が見えてきました。国税庁醸造試験場跡です。ここは江戸幕府の反射炉跡地で明治37年に酒造技術を科学的に研究する機関として設立されました。

13時50分頃、近くの浄土宗正受院に入りました。竜宮城の様な鐘楼門にあっと驚きました。明治35年の建築で戦前までは明け六つ(午前六時)と暮れ六つ(午後六時)に鐘が撞かれていたとの事です。

本堂にお参りした後、近藤重藏座像を見ました。北方探検家ですがこの様な甲冑姿でエトロフ島に標柱を建てたと聞かされました。そして竹藪の奥に進みます。

本堂の奥の竹藪の中に石碑がありました。滝野川の渓流とあります。川が滔々と流れその先に江戸名所図会にもある不動の滝が当時はあったのでした。

慈眼堂は死産や流産も含め、嬰児を供養する堂で東京で唯一の赤ちゃんの寺との事です。ぬいぐるみや折り鶴が供えられ胸がつまりました。また竜宮型の鐘楼門を出て次へと急ぎました。

7分から8分位で真言宗豊山派金剛寺に着きました。門の内に入ると両側に風神、雷神像が在り思ったより小ぶりだと感じました。こちらは源頼朝が石橋山の合戦で敗れ力を付けて府中から鎌倉に入る際にここ滝野川で陣をはったと云われています。松橋辯財天信仰の堂舎を建立し田畑を寄進したとの事です。そしてここは早くから紅葉の名所だったことから寺を通称、紅葉寺と云いました。滝野川で生まれた富士講先達の安藤富五郎の碑は富士山を型どった石でした。

寺を出ると石神井川と紅葉橋がありました。川に沿って少し歩き憩いの水辺を覗き込みました。松橋辯財天洞窟跡とありここが北斎や広重が描いた場所との説明を聞きました。

王子神社の方面に戻る途中に金輪寺阿弥陀堂がありました、金輪寺は王子神社の別当寺です。木食上人(山下覚道)の墓がありました。現在でもベジタリアンはよく聞きますが、この方は火を通した物を食べず生米や草を食べ供養米は貧しい人に施したそうです。生まれは解らず昭和10年に没しています。黒い石で多くの像を造っていて拝見しながら後にしました。

5分位で王子神社に着きました。元享2年(1322)に豊島氏が紀州熊野三山から石神井川の高台に勧進したのが始まりです。王子信仰は神が高貴な幼児の姿で現れそれが信仰の対象になっています。 王子の字の如くでなるほどと思いました。青い屋根の本殿にお詣りしました。七五三のお祝いの子を見かけました。

本殿の左手前に玉垣に囲まれた赤い社の関神社がありました。蝉丸法師ゆかりの神社です。妹が逆さ髪で苦しむのをカツラを造ってあげ大層喜ばれたという話が残っています。床屋さんやかつら店の信仰を集めています。

大銀杏は樹齢600年で黄葉を眩しく見上げました。

名所図会には料亭が二軒ありました。海老屋と扇屋です。今は扇屋の厚焼玉子の小さなお店しか残っていません。王子の狐という落語に出てくる扇屋です。急ぎ

こちらで買物をしました。1個650円でなめらかで甘くて我家の孫たちに好評でした。

中央工学校という有名な専門学校の坂を登りました。そこに王子稲荷がありました。しばらく坂を昇っただけあり、かなりの高台に上がっていました。浮世絵の中央には筑波山がはっきりと描かれています。

毎年、大晦日の夜に関東各地の狐が衣装榎の下に集まり高級官女に装束を改めここ王子稲荷で収穫の吉凶を占ったそうです。初めは岸稲荷の名でしたが元享2年(1322)に王子の地名から王子稲荷と改称したとの事です。

御石稲荷神社では願い事を唱えながら石を持ち上げ、軽いと感じたら願いが叶うとの事です。いとも簡単そうに持ち上げる会員さんが多く、その元気さに驚くばかりでした。聞くところによれば米の10キロより重かったそうです。ちやんと願い事を念じたと皆さんがおっしゃりさすがでした。

急な坂を降り本日最後の装束稲荷に急ぎました。きりりとしたお狐さんが迎えてくれました。狐の集合場所の榎は神木で装束榎と呼ばれていました。今の榎は小さな榎になりましたが神木としてあります。「いざ開けん、海老屋、扇屋とざすとも王子の狐、鈎をくはえて」と蜀山人の狂歌碑があります。装束稲荷は地域の人々により大晦日に行事が行われていますが今年は中止との貼り紙がありました。

15時半を過ぎた日もありましたが扇屋の玉子焼きを楽しみに帰路につきました。

皆様、大変お疲れさまでした。

小春日やスカイツリーの眼前に

庭園の水面を染めて櫨紅葉

大銀杏石燈に舞ふ落ち葉かな    豊治

初冬や妹(いもと)の墓の日へ傾ぎ  慶月

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