火、木は1時半頃、土曜日は40分位遅くなり2時過ぎにスタートしました。土手の伊勢屋の天丼は、昔、吉原で働いていた人たちが食べていたから味が濃い目と聞きましたが、程よい濃さで天ぷらもさくさく。殆どの方が満足されたようでした。
すぐに見返り柳を見ました。吉原からの帰りの客が髪を引かれる思いで振り返ったという柳です。現在の物は昭和に植えられたものです。信号を渡り反対側をあるきました。
いざいざ新吉原へと心がはやります。男性は叉、格別の思いがあるのでしよう。日本橋にあった元吉原が元和3年(1617)に火災にあい、ここ新吉原に移り昭和33年の売春防止法で終わりを告げられるまで永々と続いた場所ですが、今もその様な部類の店がずらりと並び一般の人の立ち入りを拒む一角となっています。
鉄漿溝(オハグロドブ)の跡の少し残る石垣を見ました。周囲を溝で囲んであり、黒い色で濁っていて臭いもひどかったとの事です。この様な跡を見ると少々生々しくて、美しい浮世絵とは違う哀しくはかない女たちと、華やかな場所を作り上げ利用した巨大な商売の世界、そしてそこへくり出す男達の性(さが)、今では時代劇の世界ですがそれぞれの生き様が想像されて胸がつまる思いがしてきました。
黒いタクシーが出てきました。
そして我々は、たけくらべの悲しい終わり方を思いながら樋口一葉記念館を目指しました。火曜日は休館日で申し訳ありませんでした。記念館では自筆の文章を見る事ができとても美しい字に見とれる程でした。
一葉は、25歳で結核で世を去った後に認められました。菊池寛の撰文碑には、明治文壇の天才一葉の旧居あとなり。一葉の霊欣びて必ずや来たり留まらん。と表し碑を建てましたが、戦災に合い昭和24年に建て直された様です。旧居跡では荒物や駄菓子を売る店を7ケ月程、出していたとの事です。店を出す資金もとても苦労して借金して作ったようです。商売はうまくいきませんでしたがしかし、ここでの経験が「かけくらべ」を生んだと言われています。
2~3分の処に飛不動(天台宗、正法院)がありました。飛不動だけあって空の安全を守る不動ですので飛行関係の人々の信仰を集めています。修行僧が持ち出した本尊が大峰山から飛んで戻って来たという伝説があります。あのハヤブサの関係者の絵馬もあるとの事です。又、落ちないという事から受験生にも支持されているとの事です。落ちない!戻ってくる!素晴らしいではありませんか。
5,6分の場所に吉原神社に着きました。万治元年(1658)千葉九郎助が白狐と黒狐が天下るのを見て勧請したそうです。吉原出火の折も無傷だったので人気が出、吉原の世界から一日も早く出たい人々の信仰を集めました。吉原の今昔図が張り出されていて目を引きました。
4~5分で弁天池へと進みました。女郎達の絵や美人画の浮世絵も展示されていました。華やかな世界を想像しました。お堂の中には裸の弁天様がいらっしゃいました。周囲は紅や桃色の派手な色で何だか別世界に入って来た様でした。しかし大震災の殉死者追悼の碑が高々とあり悲しい出来事が刻まれてありました。よしの原を埋めたてて造った事や日本橋からここに移転した事、そして廃止となった事までの歴史が記されています。
6~7分で広い通りにある鷲(オオトリ)神社に着きました。天の岩戸に隠れていた天照大神へ楽器を奏でると鷲が弦の先に止まつたとの事です。そしてその時、踊っていたのがお多福という事で正面に大きななでおかめがありました。私たちもしっかり願いを込めて、おでこや頬を撫でました。
少し細い道を行き普通の家の入口に見える浄土真宗の大照寺の中の仏足石を見せてもらいました。
木曜日と土曜日には大照寺の前に、第18代中村勘三郎の墓にお参りとしました。平成中村座でも次々と企画し精力的に歌舞伎を演じ、はたまたロマンスでも何かと話題になっていた勘三郎の顔が浮かんできました。
大照寺から5~6分で広場の奥の曹洞宗朝日弁才天に着きました。江戸初期、備中松山藩の水谷伊勢守の屋敷に祀ったのが始まりで不忍池を夕日の弁天といい水の谷は東にあるので朝日弁天とよばれたと言います。不忍池のにぎやかさに比べ、こちらは何と寂しいことでしようか。現在は、朝日とは名ばかりだと感じた次第です。
本日最後の千束稲荷に16時頃着きました。樋口一葉の大きな石の胸像が左手にありました。とても美人だったという事です。たけくらべの美登利と共に、この薄幸と薄命の美人を日本人はずっと忘れないでしょう。私達はもう一度、一葉をじっくり見て別れを告げました。
三ノ輪駅には5分位で着きました。本日も盛り沢山で大変お疲れ様でした。吉原の興奮からまだまだ醒めやらないままに帰路についた私たちでした。
木斛の紅き実たわわ社脇
千束や枯れ葉一葉舞ひ散りぬ 豊治
秋天や飛行機落ちぬ札のあり
吉原の図面買ふ人神の留守 慶月
たけくらべの冒頭より
「廻ければ大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝の燈火(トモシビ)うつる三階の騒ぎも手に取る如く‥‥南無や大鳥大明神…..」