鎌倉街道上道  第六回 小前田~赤浜

3月14日(火)は曇り、18日は晴天で比較的歩き易く進む事ができました。14日は20名、18日は18名と大勢のご参加でした。まず秩父鉄道熊谷駅を10時2分発に乗り小前田へと向かいました。

18日はSL列車就航祝賀でホームにゆるキャラも勢揃いして賑わっていました。

10時半近くに小前田駅で降り、この地の藤田氏や猪俣氏について前回、時間がなくて説明できなかった話から始まりました。

小前田諏訪神社に数分で着きました。三本の鳥衾の瓦が唐破風の中央にあり、根のある梶紋も由緒ある諏訪神社という事でした。

お蚕さんを祀る蚕影神社も横にありました。

先程降りた秩父鉄鉄道の線路に差し掛かった時、18日は熊谷駅からのSLが国旗を付けてやってきたのです。何というグッドタイミングでしようか。

10分位進むと原宿の交差点です。ここは宿場町ではなく、小さな宿があったそうです。

11時過ぎに本日の鎌倉街道のスタート地点はここから始まると講師がいい前回の道路を指差し、皆で眺めました。

そして私たちは右手の住宅が並ぶ道へと入っていきました。

大きな工場を過ぎ荒川沿いにでました。

荒川の上流の景色が目の前に開けているお茶々の井戸に着きました。

鎌倉街道の往来が盛んな頃、ここに茶屋があり於茶々という美しい娘がいて繁盛していたとの事です。日蓮も佐渡に流される時に寄ったという事です。何百年もの時を経ても名が残っているお茶茶の姿を、私たちは想像するのでした。

コンクリートで囲われた井戸は上に鉄格子が覆っていました。覗くと水が見え今も涸れることなく空を映していました。

10分位歩き、お昼前に花園の道の駅に着きました。

14日はJAの店で麺類にしましたが、18日は皆様の評判の良いフオレストというパン屋さんのバイキングランチにしてみました。お蕎麦屋さんに入った方や好きなパンを買ってテーブルで食べた方等、一時間近くゆっくりと過ごしました。

午後の初めは宝篋印塔を見学しました。江戸時代に金井家の井戸を掘った時に出土した物で三基あり1300年代の物で室町時代の初期の物だそうです。

 

荒川を渡ります。川の中に岩が突き出ている所が小さく見えます。本日のメインの一つの赤浜の渡しです。

14日火曜日は橋を渡りドンドン登り坂を進み武蔵国男衾郡の標識を見て赤浜の渡しへと向かいました、倒木の荒地に分け入り龍神橋を渡りました。

土曜日は危険を避け橋の下を潜り、赤浜の渡しに向かいました。

麦畑だけが青々としています。川の土手へ出て渡し跡の岩を見ました。水量の目安にもなったといわれる獅子岩です。

ここで講師は巡検(見)使の話をしました。江戸時代になると将軍が代わるたびに地方へ巡検使がやってきていました。その時に村役人が領主側より返答案として配布されていた扇があったとの資料を講師が示して笑いを誘うのでした。

鎌倉古街道の標識を過ぎ、実際の道が残っている場所を通りました。

数十メートルの短いものでしたが盛土をしたアイリスオオヤマの工場の側に少し下った街道跡がありました。

右下に見下ろしながら工場の柵と古道の間を抜けました。

鎌倉街道はこの地点から南に進みます。次回は此処から鎌倉街道が始まります。

今回は畠山重忠所縁りの畠山荘に行きます。

30分位歩くと畠山重忠の墓に着きました。

公園になっている場所へ入っていきました。一の谷の戦いの時に馬を背負ったという場面の銅像が建てられていました。

ここで、鎌倉街道上道では初めての記念撮影をしました。本日で鎌倉街道歩きを完歩されるご夫妻がいらっしゃいました。

公園の奥に五輪塔六基が大切に保存されていて、重忠と忠臣の墓という事です。

畠山重忠の産湯を汲んだと言われる井戸も残っていました。

御手洗いと休憩もして出発しました。

頼朝の時代に皆から尊敬されていた文武両道の畠山重忠は、北条氏により42歳のとき鎌倉街道中道の二俣川で倒されました。

早咲きの桜が美しく咲いていました。

井椋神社の別当寺で畠山重忠の廟所がある満福寺は真言宗豊山派です。白田山という山号は白と田で畠となる事を聞き、私達はなるほどと納得するやら、感慨すら覚えるのでした。

再び荒川沿いに出て鶯の瀬の碑を見ました。重忠が岡部六弥太(榛沢六郎成清とも)を訪ねての帰路、洪水に合い困っていると鶯が鳴いて浅瀬を教えてくれたという歌が残っています。

「時ならぬ岸の小笹の鶯は浅瀬たずねて鳴き渡るらん」

本日の最後の井椋(イクラ)神社は、郷里の椋(ムク)神社を重忠の父が勧請しました。

荒川のうえまつ橋を渡る時、14日はとうとう雨が降り始めました。急ぎ武川駅へと向かいました。

18日は、重忠橋を渡り一つ近くの永田駅に向かいました。

本日は一日中、重忠のことで終始した気がいたします。

皆から尊敬され愛馬を背負うような人は、いったいどの様な顔の武将だったのでしようか。

今もなお人々に愛される鎌倉の武士(モノノフ)に思いを駆せながら秩父鉄道に乗り込みました。18日は熊谷駅までウォーキングのグループの方々と話を弾ませながらの帰路でした。

また雑草のホトケノザとオドリコソウの違い等を熱心に話している方もいらっしゃいました。

本日も無事終了致しました。

皆様お疲れさまでした。

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