江戸名所絵巡り 4部  9回 横浜界隈を巡る

11月11日(火)、15日(土)は江戸名所巡りの終盤の9回目でJR根岸線桜木町駅10時に集合しました。まず最初に鉄道発祥の記念碑の前に立ちました。桜木町駅が最初の横浜駅だったのです。明治3年(1870)3月、新橋駅・横浜駅間の鉄道建設工事が始まりました。エドモンド・モレルの指揮により建設が進められ明治5年10月14日に開通しましたので、この日を「鉄道の日」と定めました。碑は英国から輸入された双頭のレールが柱になっています。

新橋(汐留)から横浜(桜木町)まで一日9往復の運転で品川・川崎・鶴見・神奈川の4ケ所に停留場が設けられました。110型蒸気機関車やジオラマの展示を見ました。

紅葉坂を少し上がると神奈川奉行所跡がありました。外国奉行から分化した神奈川奉行所はその出先としての役割を持ち現在の税関に当たる仕事や外務省の出張所的仕事をしていました。安政6年(1859)から明治元年(1868)に廃止されるまで同心・足軽を含めて約1000人が務めていました。

金星・太陽面経過観測記念碑がありました。明治7年12月9日に金星の太陽面経過観察が成功しました。アメリカ隊は長崎にフランス隊は長崎と神戸、メキシコ隊は横浜にて観測所を設置しました。この様な外国からの天体観測隊は「天文の黒船」と呼び日本の天文学の発展の元となりました。

もう少し頑張って坂道を上がり掃部山公園に着きました。エドモンド・モレルなど鉄道技師の官舎があった場所で鉄道山と呼ばれました。その後、旧彦根藩が買い取り井伊直弼像や庭園を整備し掃部山公園と呼ばれるようになりました。

11時頃に山から下り都市型ロープウエイの横浜キャビンに乗り赤レンガ倉庫を目指しました。帆船の日本丸が見えました。昭和5年に神戸市の川崎造船場で進水した文部省航海練習船です。昭和59年に引退しました。約10分足らずの遊覧から降り赤レンガ倉庫へ延びている昔のレールに沿って歩きました。

6,7分歩くと赤レンガ倉庫の二棟に着きました。2号棟は商業施設となっていて、ここで20分の休憩時間を取り自由に買い物を楽しみました。

次に「象の鼻公園」に移動しました。幕府が突貫工事で作った東波止場と西波止場は慶応2年(1866)に大火で焼けてしまい耐火建築として整備され西突堤を延長し船溜まりの波除けとしその形から「象の鼻」と呼ばれました。開港150周年を記念して平成21年に公園として開かれました。

港湾労働で死亡した2822柱を合祀した供養塔がありました。

次に日本大通りを歩きました。歴史的建造物の横浜三搭を眺めました。クイーンの搭は横浜税関、ジャックの搭は横浜開港記念会館、キングの搭は神奈川県庁です。神奈川運上所跡がありました。安政6年に開設されたもので現在の税関に当たります。

12時15分近くになり横浜開港資料館に入りました、安政元年(1854)ぺリーと幕府全権の林復斎が会談し日米和親条約が調印された場所です。中庭にある玉樟(タブの樹)は「ペリー提督、横浜上陸図」の石板画に描かれている玉樟です。関東大震災で焼かれましたが根元から若芽が出て再生したものです。感動を持ってその所縁のタブの樹を眺めました。

居留地90番地にあった大砲を置かれていました。外に出ると通りの端の石碑に英一番館跡とありました。安政6年、イギリスのジャーディン・マセソン商会が英一番館を建設し商売を始まました。

5分位歩き山下公園へと進むと海や船が見えてきました。山下公園は関東大震災の瓦礫を埋めて造られました。大桟橋は明治27年に完成し大型の外国船が接岸できるようになりました。

氷川丸と一緒に記念撮影をしました。氷川丸の船名は大宮の氷川神社に由来します、日本郵船が昭和4年に進水し貨客船として太平洋航路を運航しました。大東亜戦争では海軍に徴用され約3万人の傷病者を運んだとの事です。

山下公園内を散策しました。「赤い靴を履いた女の子」や「カモメの水兵さん」を見て廻りました。11月とはいえ暖かく花々が美しく咲いていました。ホテル・二ユ―グランドを眺めながら昼食の中華街へと歩みを進めました。

横浜の開港でイギリス、フランス等諸外国の商館が進出し、それと同時に中国人を伴い来日しました。上海や香港で欧米の言葉や商慣習に通じ漢字で日本人と筆談できる中国人は大きな役割を果たしました。明治6年には外国人の居住者総数が約2400人で中国人が約1300人ですから約6割が中国人だったのです。

12時50分になっていましたが、これから遅い昼食です。中華街の朝陽門は東の朝日を迎える門です。門を潜り真直ぐに進み、かなりお得なランチのお店の2Fで我々だけの円卓を囲みました。

1時間位、食事を楽しんだ後に地久門を曲がり横浜関帝廟へ急ぎました。関羽信仰は宋代に人気が出て清の時代には県には必ず孔子廟と関羽廟があったとの事です。ほんの少し歩くと横浜媽祖(マソ)廟がありました。道教の神様で女神の大天后の事です。

中華街を後にして開港に翌年に堀川に架かった谷戸橋を見ました。ここを渡ると外国人居住地の山手になります。幕府はすべての橋に関門や木戸を設置し神奈川奉行所の同心や番人が詰めていたとの事です。

火曜日は谷戸坂を上り港が見える丘公園に向かいましたが土曜日は中華街駅のエレベータを利用しました。公園の場所はフランス軍の兵舎があった所です港が良く見える所で講師の説明を聞きました。

旧英国領事館公邸がありイングリッシュローズの有名な庭がありますが先を急ぎ外国人墓地へと進みました、エドモンド・モレルもここに眠っています。通りを進むとエリスマン邸跡がありました。現代建築の父と呼ばれる建築家のA・レーモンドの設計したスイスの貿易商エリスマン邸で大正15年の建築です。

フェリス女学園、カトリック山手教会と進みイタリア庭園では中に入り住宅の中を見学しショッピングを楽しみました。18番館は改修が終わったところでピカピカの床や内部を見て廻りました。

外交官の館から下に降りて行くと石川街駅でした。4時を過ぎてしまいましたが盛り沢山の一日でした。皆様、お疲れさまでした。

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