6月7日(火)、11日(土)合わせて30名のご参加で9時30分鶴ヶ峰駅を出発しました。
スカラップ形のモニュメントがありました。この川(帷子川)をはさんで鎌倉時代の初期に畠山氏方と北条氏方が対峙し戦ったのです。
数分進むと源頼朝の忠臣であった畠山重忠の首塚が七重塔として小さな敷地に建てられていました。
少し進むと首洗い井戸があった跡があり、重忠の首を洗い清めたということです。智・仁・勇を備えた武将は北条時政の至急参上せよとの命により、ここで大軍に待ち伏せられて、弓の名手愛甲三郎季隆の弓に当たり42才の生涯を閉じたのです。
帷子川を渡るとき鎧が濡れないように頭に乗せて渡ったということから、この辺りを鎧の渡しと呼びました。この時代の大鎧は40キロ程もあったと講師から聞き、そんなに重かったのかと驚く我々でした。
ゆるやかな坂を上がりました。道の脇から入ったところは神明社です。全国にある神明社はみな伊勢神宮を分祀したとの事です。
土曜日には気温がぐんぐん上がり日陰が恋しくなるばかりでした。
11時少し前に鎌倉道と大山道の分かれ道にさしかかりました。
東に行けば今井街道を経て旧東海道の保土ヶ谷宿へ、南へ行けば鎌倉街道です。
子供自然公園で講師はまた小さな椋の実を見上げて説明し始めます。
この辺りの町名は万騎が原です。万騎が迎え打つために集まった地から、この字が使われていると言う事です。
畠山地蔵尊、畠山碑を見て二俣川駅へと向かいます。
どなたかが昼食が一番楽しみとおっしゃっておいででした。本日は横浜らしくオムライスのお店に入りました。オムレツとご飯を一緒にしてはという発想から生まれたオムライス。ランチメニュー900円はボ゙リユームがありサラダとスープ、コーヒーもついていてお得感がありました。
12時半過ぎに午後の部スタートです。
先程ちらりと見えた大池に着きました。この大池のめだかの歌である「めだかの学校」の碑を見ました。フエリス女学校の音楽教師の中田喜直氏は旭区に30数年在住され、氏はこの公園を深く愛されたという事です。
上り切り、尾根道を行くと地蔵堂がありました。ヒマラヤ杉の松ぼつくりを講師は差し上げて、実からもわかるようにこの木は松科なのだと証拠を見せるのでした。
元の道に戻った場所に武相境説明柱がありました。
いままで、中道はずっと武蔵の国を歩いていましたがここからは相模国に入ります。又、鎌倉の都が一望できることから都塚という名だと標されていました。
下り坂をどんどん進みます。30分位ずって戸塚カントリークラブのゴルフ場の脇を歩きました。
2時頃に着いたのは霊源山倫勝寺で東京都の小松川にありましたが、区画整理でここに移ってきたそうです。
治水工事の際に掘り出された元禄時代の地蔵二体と観音様を拝見し、御手洗いをお借りしました。
講師は、こちらにある木で中国では櫻の字で表す「ゆすら梅」の実を示しながら、我が国との違いを話しました。
土曜日は晴天で暑く、平坦な道が終わりまで続くようにと願いながら進みました。10分位歩くと、この奥が戸塚カントリクラブから続いた街道ですが、今は入れないという場所がありました。フェンスの向こうを眺める私達でした。
ここで一つ寄り道をしますと講師は言い、そして下り坂を進み始めます。という事は上がってこなくてはなりません。私達はかなり疲れていましたが、もうひと頑張りしなくてはならなくなりました。
2時半頃着いたのは乗国山徳翁寺です。かやぶきの門がとても立派です。門は閉ざされていて中に入ることはできませんでしたが、ずらりと並んだ十三仏像を拝見しました。
時間と体力が残っていたらもっとじっくり拝見したいと思いました。そして、本日一番印象に残るかもと思える樹を見たのです。世界三大美樹の一つであるアラウカリアの樹が、不思議な枝を伸ばして立っていました。針葉樹というのに尖った小さな葉がびっしりと枝に付いていて、何と珍しいことかと私たちは疲れも忘れて見上げました。
元の街道に戻り、本日終点の東戸塚駅を目指しました。天候に左右される街道歩きですが、万緑の中の綺麗な花、可憐な花たちに大いに癒された私達でした。