第五回 新井薬師~梅ケ丘

新しい年に入り暖かな日が続いておりましたが、この週の始めのあたりからぐっと冷え込むようになって来た12日(火)と16日(土)、中道第5回目を歩きました。

12日は小雨の中を13名お集まりいただきました。16日は19名の方々が出席下さいまして好天の中を快調に歩くことが出来ました。

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9時半すぎに新井薬師前駅を出発し、新井薬師へと向かいました。

10分もしない内に到着。瑠璃殿と書かれた扁額を見上げ本堂にお参りしました。

親子地蔵の珍しさとともに、首切りにあったであろうお地蔵様を私達は胸を痛めながら見つめました。IMG_3450

墓地には沢山の窪寺氏の墓があります。新田義貞に従った信濃の武士で、ここ武蔵国新井に土着したといいます。

又、新井の由来の白龍権現水の像を鑑賞しながら龍についての話を聞きました。IMG_3458

 

 

 

 

筆者は、近頃テレビで中国の歴史ドラマを観ています。絶対的権力者である皇帝(陛下)は龍に例えられ、衣服には龍の刺繍が施されています。龍は強い生き物を寄せ集めた想像上の動物なのですね。

十六歳の凛々しい聖徳太子の像は戦後の建築職人の技能低下を憂いて鏝(コテ)で製作したといいます

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竹垣が長く続くこの辺は名主鈴木家で大きな屋敷林があり通称欅屋敷と呼ばれていました。又、ここは「たきび」の歌の発祥の地でもあります。

鈴木家の前で目にした焚火がモチーフとなり巽聖歌(タツミセイカ)の詩が生まれたのです。可愛らしいお地蔵さまが欅の祠の中にいらっしゃいました。

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さて出発して丁度一時間、本日のメインの一つである万昌院功運寺に着きました。こちらは、団体のお参りは前もって予約が必要というお寺さんです。みかんの木がありいい色に色づいていました。IMG_3466

万昌院と功運寺が合併しましたが、もとはどちらも江戸城の近くにあったということです。境内に入ると一切写真が取れないので、それぞれの脳裏に焼き付けておくしかありません。門前のたて札の前でまず説明を聴いてから門をくぐりました。IMG_3376

あの吉良上野介の墓がたっていることにまず感動を覚えました。

五輪塔をスマートにした型の四本の石柱の墓の右端のものに従四位源義央その右側に十二月十五日と日付が刻まれていてはっきりと読み取れました。IMG_3467

細く狭い石畳の通路を皆で気を使いながら賤ヶ岳七本槍の一人の糟屋武則の墓、今川家の墓地、南蛮医の栗崎路有や浮世絵師の歌川豊国等の墓にもお参りしました。

女性としては「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の林芙美子の墓が興味深くつつじの帰り花が小さく咲いていたのが印象的でした。

12日は寒い小雨の中に和風のコーヒーカップが供えてありました。どなたかが放浪記の森光子さんもきっとお参りしたのでしようねとおっしゃっておられました。

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隣にある宝泉寺には島原の乱で鎮圧の指揮をとったが討死した板倉重昌の墓がありました。正月朔日(ツイタチ)と刻まれていてなおいたましく感じました。

講師は相模の大雄山最勝寺の僧であった道了の宿坊跡の碑から天狗の話へと移行するのでした。

2,3分で、前回の三井文庫前で道が途切れていた鎌倉街道に繫がる場所(上高田2丁目)の道に出ました。何の変哲もない道路に停ずみ、そうなのかとそれぞれに思いをはせるのでした。

しばらく歩き早稲田通りを横切り右に入ると10分位で北野神社へ着きました。こちらは石造物が面白く、狛犬や元禄期の如意輪観音、庚申塔を拝見しました。申年の新年ですから三猿を見てもちょっと今までとは違う思いで見てしまう我々でした。IMG_3474IMG_3473

 

5分位進み、この辺りの30万坪が徳川綱吉時代の犬屋敷跡だという話にその面影など全くない交差点でへえ~というしかありません。尾張藩上敷の人の排泄物を汲み取る役の名主の堀江家の話にも皆、興味をそそられました。藩の上屋敷は年間50両程で買い取るということです。庶民は粗末な食物の排泄物だから大根5本程度だとか。食べ物の差でこんなにも肥料に差が付くとは思えませんが笑ってしまう値段の差ではないでしようか。

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堀越学園前を通過し、城山の砦跡へと。太田道灌の陣跡でスポーツ広場となっていました。ここで御手洗い休憩です。

三味線橋の由来は近くで音が聞こえたからと云います。橋の名の何と粋なことでしようか。IMG_3390

三味線が趣味の歩き隊の会員さんが、橋柱をなでておられたのを筆者は嬉しく眺めました。IMG_3392

10分位で商家や料亭が軒を並べていたという鍋屋横町へと入りました。

丁度12時半です。これから1時間楽しいランチタイムです。お店はいろいろありましたが角の中華料理店に決めました。チヤイナドレスのお姉さんが魅力的で雰囲気もお味も良くて今回も満足!!幸せな時間を過ごしました。

1時半、三菱UFJ銀行前に集合して午後のスタートです。

鍋屋横町の由来の説明板を見ると、名物の草餅や梅林も人気があったというから今残っていたら私たちもどんなに楽しかったことでしようか。

妙法寺のお題目石は舗道に立っている碑で妙法寺への道しるべです。是より妙法寺へ十八丁と刻まれています。大きなお寺といいますが鎌倉街道からはかなり離れていますので今回は石碑だけ見て先へ進みます。IMG_3394

 5分程で和田十貫坂にさしかかりました。中野長者の鈴木九郎が埋めた古銭十貫が入った壺が掘り出されたといいます。地蔵堂のお地蔵様も庚申塔も1700年代の初めのものでガラス戸の穴から眺める事ができました。IMG_3401IMG_3405

又、5分程度で神田川沿いを歩きます。営団地下鉄車庫を過ぎ、多田小学校の校庭に卒業生が石で造った記念碑を見て通ります。

すぐに宝福寺に着きました。憤怒のお顔が決まりとされている馬頭観音ですが、こちらは優しいお顔で片膝を立てていらっしゃいました。大きな筆塚もあり、これは明治三年雑色村の戸村塾の生徒たちが筆を供養したといいます。IMG_3411

男15名、女10名と資料にありますが女性もちゃんと勉強していたというのが解り、とても嬉しい気持ちになるではありませんか。IMG_3409

地続きの多田神社へ入っていきました。

九百年もの歴史があり源義家ゆかりの神社でずっと雑色村の鎮守であったといいます。IMG_3414

狛犬も立派で、鈴緒を被う紫の奉納幕の笹竜胆の紋が印象的でした。御神木は二株に分かれている楠の巨木で鳥居と鳥居の間にそびえていました。IMG_3415

中野区南台の商店街をどんどん進みます。道の両側はにぎやかになってきます。

商店の上には謹賀新年ののぼりも立てられています。IMG_3420

25分位、ずっと歩くと甲州街道に出ました。右手すぐに笹塚の一里塚跡がありました。

新宿より3里と云う事です。又、近くのスーパーで御手洗い休憩を取りました。バーゲンセールが気がかりでしたが3時にスタートしました。

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甲州街道の歩道橋を渡り5分位で玉川上水です。IMG_3503

江戸芝口の町人の兄弟が幕府に願い出ると共に自分達の家・屋敷も売り造ったという12里半の上水です。しかしゆっくり眺める事なく過ぎました。

又5分位すると鎌倉街道は、下北沢へ行く方と二子玉川へ行く方に別れています。

我々は左手の玉川方面へと目指しました。15分位進み環七を渡ると羽根木神社へと進みます。細く長い参道を行くと赤い鳥居が目に入ります。狐さまや常夜灯は金網の中で覆われていました。

皇太子殿下ご誕生紀念と彫られた碑があり、昭和十年二月十一日と刻まれ在郷軍人、青年団とありました。IMG_3432IMG_3508

 

 

 

 

京王線東松原駅の踏切を渡ると4~5分で羽根木公園です。ここは東武鉄道を造った根津嘉一郎氏の別荘があった場所で広い梅園にした事から小田急線の駅名が梅ケ丘なったそうです。IMG_3516IMG_3440

丁度、紅白の梅が咲き初めていました。古事記橋の小さな石柱はこの橋の近くに乞食が住んでいた事からだそうです。IMG_3518

4時に小田急線梅ヶ丘駅に着きました。今日の終点です。お疲れさまでした。IMG_3447

火曜日は美登里寿司本店の席は少しありましたが土曜日はもう行列ができていました。

来月、又この駅でお会い致しましょう。IMG_3433

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