12月8日(火)19日(土)両日お天気に恵まれた中を9時半に赤羽駅に集まりました。
赤羽駅から鎌倉街道に出るまで少し歩き本尊薬師如来前からのスタートです。まず講師は御家人株は何両で手に入るかという話から始まりました。与力1000両、同心株200両が相場といいますが、庶民にそんなお金はないのではと筆者は思うのですが、夢のなさすぎでしようか。
4~5分歩き本日最初に訪ねたのは赤羽根八幡宮です。右手に天保11年是ヨリ左ヘ一丁という道標がありました。
坂上田村麻呂が陣を張ったという、この辺りの総鎮守であったそうです。
三十段位の石段を登り説明を聴きました。石段の奥ゆきがあるのは駕籠が昇れるようにしているからというのです。
本殿脇の左右の彫刻は大変立派で赤ん坊は応神天皇という事です。
境内には色々な神社が合祀されていて、なで牛や兎、狐、大黒さまなどの置物が
ずらりと並んでいて思い思いに鑑賞し、撫でると吉事があるという牛を撫でたりしました。
そしてこちらで私たちを驚嘆させたのは社務所の下を線路が通っていたことでした。
坂本庚申塔を過ぎゆるやかな「うつり坂」を登っていきます。
URの工事現場らしき間を抜けて15分位で善徳寺です。
御手洗いをお借りし、墓地にも入れていただくので心ばかりの御布施をしましたら全員にお供え物の小袋を頂戴しました。19日には本堂内のしやもじ形の仏像(お竹さん)を見せてもらえました。講師より女中のお竹さんの美談を聴き、お竹如来にもお参りいたしました。御伝馬役の名主の馬込家の墓を拝見させていただきました。
お竹さんのような女性の鏡にほんの少しでも近づきたいと思いながら善徳寺を後にしました。
お隣の大恩寺へと移りました。仁王さまが立つ門をくぐると観音様がずらりと並んでいました。美しい観音様方に見ほれる程でした。
私たちはいったいどの観音様に救われるのでしようか。地下の墓所には琵琶を持った弁才天が立っておられ、前には可愛い子供の地蔵さまが並べられていました。
又、地上に戻るとお堂の内に金箔を施された水子観音があり、木造では日本一の大きさという華麗なお姿で立っておられました。
最後にこれらの観音様たちの元のお姿の聖観音様の美しく穏やかなお姿を境内で拝見して、こちらを後にしました。
中山道を横切り、又15分位進むと長徳寺です。道標や馬頭観音等石造物の多いお寺を鑑賞しました。
しばらく進むと山中橋(中山道の板橋より古い)を渡り、商店街へと入ります。
野菜や果物の安いこと安いこと。半額セールの焼肉屋もありました。
さあここで一時間のランチタイムです。どの店に入るか悩んだすえに火曜日はトンカツ屋、土曜日は「キッチン亀」とへ。
どちらも安くて美味でした。へそハンバーグランチは、この辺の「へそ祭り」からのメニューという事です。ハンバーグはクリーム煮仕立てで香辛料がきいていました。
午後一番に訪れたのは専称院。前身は鎌倉時代の武将が行基に地蔵を造らせたという伝説の場所です。溺水亡霊解脱塔、救世除水難宝塔、長夜塔が並んで立っています。
さすがに荒川のそばにあったお寺で、水難がいかに大きな事だったか伺えるのでした。又、子育地蔵尊が座像であった事、門にある葵の紋に異なる葉が入っているのはめずらしいとのことです。
次が名前がユニークな轡神社です。この辺りは通りからすぐに境内となり参道がありません。義経が鎌倉へ、はせ参じた際の馬がこちらの前で倒れ咳で苦しみながら亡くなったそうです。轡を外し祀ったという伝説があり、馬の草鞋を奉納するようになったといわれています。咳の神様として長く信仰されてきているということです。
通りの舗道をどんどん進みますと15分位すると大きな水道タンクがそびえていて、初めて見る巨大なタンクに驚きました。関東大震災後に都市部から逃れた人が急増したので、水不足を補う為に造られたものです。
幼稚園の奥にある西光寺に着きました。お正月用の庭の葉ボタンが迎えてくれました。お堂の中に座っているお地蔵は、代掻きをしてくださったという昔話で有名な代掻き地蔵さまです。
途切れていた鎌倉街道にまた入りました。しばらく進むと現在は公園となっている千川上水跡があります。元禄時代、幕府の命により河村瑞賢の設計で玉川上水から分流したといいます。後にこの上水は農業用水としても認められたとの事です。桜の名所でもあった場所の名残は何もありませんでした。
西武池袋線を渡った辺りに明治乳業の前身である籾山牧場があったという立札がありました。
15分位歩くと野方配水塔がそびえていました。こちらも前出のタンクと同じ用途でしたが、先の戦争の空襲時の弾痕跡が残っていて私たちはため息とともに見上げたのでした。
8日と19日は順序が入れ替わりましたが、まだ黄色が残る銀杏並木の横を通り哲学堂公園へと向かいました。本日のメインの一つです。東洋大学の創始者井上円了はあらゆる学問の基礎である哲学こそ日本の近代化にとって重要とし、この哲学館を造ったといいます。
「お化け博士」と呼ばれただけあって幽霊と天狗の像が迎えてくれます。
中に入って自由散策の前に楷書の筆使いを思わせる楷の木と美しい樹形のビヤクシンを見ました。約25分間ゆっくりと見学しました。
三学亭は冬紅葉に包まれていました。正面の赤い四聖堂はひときわ目をひきました。孔子、釈迦、ソクラテス、カントの四哲人を祀っていました。
すぐそばの蓮華寺は円了の墓所がありました。井桁の上に円をのせた大きなお墓に氏のユーモアを皆で感じた次第でした。
ここは少し高台になっていて南西の方角が開けていて江古田原の合戦があった一帯だとの説明を受けました。太田道灌が豊島氏を滅ぼした戦いが行われたところです。
10分位歩き御霊神社へと進みました。
前九年の役の帰途、京都の桂の里一族が土着して八幡宮を勧請したといいます。少しうっそうとした場所でお参りをしました。イボを取ってもらえる石が疣天神の傍の箱にはいっているそうです。
哲学堂通りをひたすら歩きました。メタセコイアの並木が夕日に映えて益々濃く見え、それはそれは美しい風景でした。
10分位で本日最後の場所の三井文庫に着きました。こちらは三井家の墓所がありましたが今は京都に移転し、美術工芸品も日本橋に移されたそうです。
現在はただ静寂の中に四角い建物があるのみでした。三井という表札の家が入口付近に建っていて国産車が停まっていました。
10分少し歩き西武新宿線新井薬師前駅南口に着きました。
皆様お疲れさまでした。27年の「鎌倉街道あるき隊」は無事終了致しました。
ありがとうございました。新しい年が皆さまにとって良いお年でありますように。