第2回中道は10月20日(火)講師以下20名、31日(土)は14名で歩きました。9時半に浦和美園駅に集合10時少し前に釣上交差点がある鎌倉街道に出ました。
右に曲がり、その交通量の多さに驚きながら進みました。
しばらく行くと道の角に大きめの彫りがよく分かる庚申塔がありました。
本日最初に訪れたのは保寿院跡の原家の墓石群です。中心には現在の新しい墓が建てられていて家紋の九曜の紋が歴史を今に伝えていました。武田二十四将の一人の原氏が落ち延びてこの地に土着したといわれています。
又、古い庚申塔が集められている一角がありました。
神明社の狛犬の面白さはいろいろとありました。屋根のある中に居て注連縄が張られ、首に手ぬぐいが巻かれ、のっぺりとした変なお顔なのです。何と云っても右足にひもの様なものが二重に巻かれています。理由は妻子の家出の足止めというから噴出してしまいます。
こちらで行われている神事で、十年前に国指定の無形文化財になった子供の土俵入りが有名とのことです。その石碑の前に力石が沢山並べられていました。昔を今に伝え残している人々に感動致します。
それにしても、他にも古い狛犬が長い参道にいくつもあるのです。それらに別れを告げ次へと向かいました。
三面がはっきりとしている馬頭観音(1765)はとても古く講師がこれはいいものですねという。
民家のプロパンを背に街道に向いていました。
綾瀬川にかかる畷(ナワテ)橋からの眺めと大正時代の写真を見比べて、この辺に河岸があり帆掛け船で荷を運んでいた光景をみんなで想像しました。
さて本日は少し早目のお昼です、交差点を挟んでチエーン店群があります。ここで一時間の食事休憩です。
私たちは四人で回転寿司店に入りました。一番若い男性の会員さんが、美味しい美味しいと言いながらランチに加え別に追加されていました。
午後は10分位に歩いて大きくカーブしている坂にかかりました。
ここは貝殻坂といい、大昔この辺りまで潮がきていたという事です。
上がり切ると旧日光御成道との追分になっていました。
又10分ほど歩くと諏訪神社に着きました。立派な鳥衾(トリブスマ)の瓦があり、小さいながら拝殿と本殿、それを繋ぐちょっと粗末な幣殿がありました。
別当寺の延寿寺は十代将軍家治の小休所でしたが廃寺となっていました。
さてしばらく歩道のない道路を気をつけながら15分程進みました。手入れの行き届いた寺院に着きました。
西光院の階段を数段上り門をくぐると仏像と美しい庭が広がっていました。ここで御手洗いをお借りし休憩もさせていただくので、会から心ばかりの御布施をさせて頂きました。
お釈迦さまが苦行されているお姿の骨と皮の釈尊像が恐ろい程に私たちの目の前に迫ってきました。
ここで水分補給しながら、美しい石のテーブルや腰掛けで一息入れました。
右手が天を指しているふっくらした像を見て、講師からお釈迦さまは母親の脇に下から生まれたという話にへえ~と皆さんから声がもれてくるのでした。
ぽっくり薬師や七福神にもお参りして庭に作られた数々の仏像を拝見しました。20分余り、ゆっくりさせていただきましたが金色の魚籃観音様の大魚の上で丸みをおびた腰が
なんと艶めかしいことでしようか。筆者はどこの魚籃観音を見てもいつもそう感じるのでした。
すぐ脇に七郷の神社を合祀した七郷神社があります。ここは小宮氏が天正年間に築城したという場所。
次に訪ねたのは紅葉の寺という本行寺。金色のもみじの紋が本堂の上で美しく輝いていました。紅葉の木は何本かありましたがほんの僅かの薄紅葉という状態で残念でした。
しばらく歩くと戸塚の一里塚が。と云っても表示とポケット公園があるだけでした。ここで一里の長さが時代により異なり、その地方により異なるという話を聞く。
律令時代は一里が六町で約109メートルだったとか。千葉の九十九里浜の長さが66キロなのでなる程と思うのでした。
次に妙延寺跡の女郎仏という大きな旗に男性達がオッと声をあげます。しかし今は何もなく説明板とお百度の石柱があるだけでした。若く気品のある身分の高そうな女性がこの近くで急病になり帰らぬ人となったとか。余りの美しさと身分をあかさなかったために、もしかすると女郎ではないかということで土地の人が女郎堂を建てたということです。女郎仏に関するものは残っていなく期待感があっただけにがっかりとした人も多かったではないでいしょうか。
頭上に髑髏(どくろ)があり、シヨケラをしっかり握っている庚申塔がありました。右手にベルのような五鈷鈴(ゴコレイ)を持っているのは珍しいという事です。
5分ぐらい進むと吉宗の休息所として使ったという真乗寺へ。スダジイの巨木がある寺でした。
街道沿いの敷地から十月桜が小さな花がはみ出しています。山茶花が咲いています。花ミズキは赤い実をつけています。道沿いに庭木屋さんや造園業の家が沢山ある場所です。
高速道路の下をくぐり新井宿村へと入ります。
首都高の新井宿という案内板が見えてきて、もう少しだと嬉しくなってきました。こちらのコミュニティバスともすれ違いました。
歩行者からどこまで歩くのかと声をかけられました。
宝蔵寺には古い(1518年)の二十一仏庚申待供養板碑があるとのことですが、案内板でしか見る事が出来ず、庭を拝見してお向かいの子日神社へと。
日光御成道が境となり新井宿村が西と東に分けられて社寺が向かい合わせになってしまったという事がよく分かる光景です。
沢山の草鞋が奉納されていました。
いよいよ本日訪ねる最後の場所、源長寺です。まず沢山の板碑が集められているのを見ながら本堂の前へ。ここは足利一族である伊奈氏の頌徳碑があります。お墓に入らせて頂くので会よりお布施をさせて頂きました。
関東郡代であった伊奈氏歴代の墓が居並ぶ中で入口付近にある頌徳碑が目につきます。その下方に刻まれた見た事もない動物に注目しなければなりません。
重きを負う事を好んだ龍の子の贔屓(ヒイキ)が刻まれています。
これは龍である徳川家に対して伊奈氏を宋の時代の贔屓の姿として表現しているとの事です。
丁度4時となりました。すぐ近くの新井宿駅に向かいます。今日は約11キロの行程でした。
4時10分、埼玉高速鉄道の静かできれいな駅で解散です。11月に又、ここでお会いいたしましょう。皆さま、お疲れさまでした。
御成道地蔵そろひの秋羽織 幸子
お地蔵へ輪廻へ供ふ木の実かな 慶月
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さて10月31日はテレビ朝日のモーニングシヨーの取材のカメラが入りました。
11月16日のモーニングショーで中山道日本橋から板橋まで石原良純さんを案内する役の四宮講師の仕事ぶりを撮るためです。
会員の皆様にもインタビユーがあったようですね。
10月26日にすでに本番撮りは終わっています。日本橋から板橋に至るおもしろい場所を案内しましたが、放映ではさてどれだけ紹介されるのでしようか。
皆様、5チヤンネル朝9時15分位からという事ですから、お時間のある方は是非ご覧ください。
お知らせ! テレビ局の都合で放映が12月7日に変更となりました。