あるき隊道中記 いざ鎌倉へ

DSC_0140第一回 岩槻から釣上

鎌倉街道あるき隊が9月末、いよいよ鎌倉へ向けて始動いたしました。第一回22日は講師始め15名 26日は13名の一行です。9時半集合埼玉東武アーバンラインの岩槻駅からの出発です。

 

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22日と26日では最初に訪れる場所を入れ替えて時短をはかりました。まずりそな銀行前にあるみみずく土偶のレプリカを見てから歩き始めました。愛宕神社に参拝後、太田道灌ゆかりの芳林寺へ向かいました。馬に跨る雄々しい道灌の銅像が迎えてくれました。

 

 

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突然の雨に農家の娘に蓑を借りようとしたら娘は一輪の山吹を差し出した。それは八重咲の山吹に実が実らないので蓑がないという訳だったという話を地元では今も大切にしていて、岩槻区の花として黄色の山吹の花をシンボルとしています。

 

さて曼珠沙華が残る芳林寺の庭には開基の尼僧の像がありますが、なんと右の膝を立てていらっしゃる。なぜか韓流の時代劇の女性を思い出す筆者でした。IMG_2324

 

IMG_2323細い参道を振り返りながら、日光御成街道に出ました。高札場の横には∧に安の屋号の歴史を感じる青果店があります。

 

江戸時代嘉永年間創業の菓子店に寄り名物の栗最中を購入。お腹が空いたと言っておだんごをほうばる人もいました。店内には御殿雛など人形の棚もあり、さすがに人形の町岩槻を感じました。このお店のもう一つの注目すべき点は、屋根瓦の上に鐘馗さまが立っていらっしゃること。昔から今の世までずっとこの菓子舗を守っていたのでしよう。IMG_2437

御典医の御屋敷の前に金木犀が大木となり板塀からせりだしています。秋の香りのなかを遷喬館へと向かいました。岩槻藩藩校で児玉南柯が最初は家塾として開いたという。フイリヤブランが狭い庭に群れ咲き、日本家屋の清楚な佇まいです。しかし奥の厠辺りの柱に多くの疵が残っていて当時の若武者達のふれ合いや苦悩さえ垣間見た思いがしました。

お奉行様のお屋敷は立派な武家屋敷で、昔日の如くかわらずにありました。城の廻りの総構えの跡を見上げたあと、有名な鐘へと進みました。それは草生す場所にあり、日本橋や川越のものとは全く異なり哀れささえ感じました。さてここで一枚、全員での記念撮影です。そして講師のおもしろい話に皆で笑いました。昔はどうやって時間というものをしらせていたのか。資料の絵に線香がくゆっているその前に玉代の名札が!芸者さんの一単位の時間が線香一本が尽きる45分ということだと。だからお線香代というのはそこからきていると説明される。男性達はうんうんといたく納得した様子でした。IMG_2356

曽我兄弟の子孫の寺という浄源寺、根がある梶紋は由緒あるとの諏訪神社を経て、二股杉を右に見ながら岩槻城跡へ。突然視界が開けて赤い八橋が見えました。橋の下にはピンクの水連が咲いています。このあたりが太田道灌の時代の城跡という。障子堀の説明を受け、戦いにそなえを怠らないこの時代の厳しさを改めて感るのでした。ここでお昼を少し過ぎていたので国道に出てランチタイムです。水分補給をしっかりして午後に備えました。IMG_2446

江戸時代は岩槻街道と云われた鎌倉街道をすこし南下したところに、貝塚遺跡が、原っぱに石柱だけという姿で広がっていました。この場所から、最初に見たあのみみずく土偶が発見されたのです。縄文の頃、ここは海辺だったから貝塚遺跡があるのだと言われてもにわかには信じ難いものがありました。しかし、講師は昔の海陸の地図を高々と示すのでした。IMG_2377

20分くらい歩き久伊豆神社へ。とりぶすまの説明に屋根を見上げます。見やすい庚申塔があり踏まれている邪鬼の歪んだ顔が印象的でした。

そしてすぐ側の別当寺の正蔵院へ。あるき隊から心ばかりにお布施をさせていただきました。ここで御手洗いと休憩をとります。約15分間でしたが、庭に用意された冷たい麦茶と院の名の入った御煎餅で御接待を受けました。22日は暑くて本堂の中へもどうぞと云われお言葉に甘えさせていただきました。樹齢600年~700年の銀杏の樹形が美しく、手入れの良さを感じます。ご住職は古文書でここが真福寺だったらしいというお話をされました。その証拠がこの大樹らしいというのでした。26日はご住職お一人でお茶を用意してくださいました。湯呑茶碗を持ってこられるとき、かまちにつまずかれたのにお盆の湯呑を落とされずしかもご住職はさっと立ち上がられました。御仏のご加護を瞬間に感じた私たちでした。IMG_2389IMG_2393

 

そうしてまたずんずん南下しました。常福寺の一石一字書写供養塔へ。日本石仏事典にも載っていると講師に見せられ、本物と本を見比べて納得。どの場所に寄ってもとても静かなたたずまいです。ここではゆっくりと石造物を鑑賞しました。IMG_2398

街道に戻りまた南下、15分位で源義家ゆかりの笹久保八幡へ。終わりかけた曼珠沙華の群生がありその真中に土俵があり、木陰の中で小さな蚊の餌食にもなりました。尾立狛犬の後ろから見た模様がとてもきれいでした。IMG_2405

地蔵院の六地蔵は2体ずつ三段になって立っておられ300年の以前のものと見入ってしまいました。IMG_2409

20分又街道を南下し八幡宮の鳩の話を聞き、隣の勝軍寺の道標を兼ねた庚申塔もあることも知りました。榧の木の実と葉っぱの香りの清々しさに疲れを癒されながら、後すこしと力を振り絞りました。IMG_2417

そして又20分、本日最後の光秀寺へと。日本国中の霊場を巡った記念の六十六部満願塔を感心しながら見るのでした。さぞかし御利益があった事でしょう、そのお方は。

これであるき隊の訪ねる場所は全部終了です。後は駅までひたすら歩くのみ。これが長くて長くて!今日は15キロ強歩きました。皆さま本当にお疲れさまでした.

IMG_2427城跡や精霊とんぼ湧くやうに

一粒の榧の実炒りて良夜かな          幸子(あるき隊会員)

 

 

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