第一六回 江戸名所巡り  奥戸・立石界隈 (後編)

14時前後に商店街の交差点に集まり午後の部のスタートを切りました。皆様はしっかりとエネルギー源を補充いたしました。

5~6分で渋江公園に着きました。セルロイド工業発祥記念碑が子供のモニュメントと共にありました。セルロイドは明治41年に本格的に始まり葛飾区は大正3年より創業し、工業の街として繁栄したとの事です。

約10分位で白鬚神社に着きました。15世紀の建築で葛西の客人大権現と称し大奥の婦人の信仰を集めました。

15分位歩くと真宗高田派の林柔寺に着きました。こちらは徳川家斉の側室である左京の局(月光院)の実家です。7代将軍の家継の生母で教養もそなわっていたので大奥で絶大な力を持っていたとの事です。

四つ木地区センターで15分位お手洗休憩をしてほてった体を休めました。

 

木下川(キネガワ)の薬師と呼ばれている天台宗浄光寺に入りました。こちらには家光のお手植えの松があります。現在は二代目で登美の松の銘は徳川吉宗で碑の字は勝海舟というさすが江戸、これぞ江戸と感じました。庚申塔二基を拝見しながら説明を受け嘉永元年(1548)の銅製灯籠を見ました。

 

山田顕義(日本大学の前身である日本法律学校を創設)と加藤ひな子(我国の女優の育成を行った)の親交を伝える立派な碑を見る事ができました。

ガラスに囲まれた仁王様は寛文3年(1663)の古い物でした。

綾瀬川沿いの環状線の下をしばらく北上しました。6号線の水戸街道に出る手前に「めだかの小道」がありました。土曜日はこの道沿いをあるきメダカやザリガニを見つけながら進みました。

曳舟川の由来の碑がありました。人力によって川の土手から舟を曳く広重の江戸百景を見ました。曳舟とはこういう事だったのかと皆でなるほどと感じた次第でした。

天台宗西光寺が本日の最後の訪問地です。嘉禄元年(1225)に葛西清重の創建で親鸞が東国教下の折、清重の館に泊まり阿弥陀如来を描いて清重に与えました。清重は西光坊と名乗り堂を建てたのが始まりとの事です。葛西清重は頼朝の信頼が厚く後に奥州総奉行になりました。

寺を出てすこし奥まった所に葛西三郎清重墳がありました。昔は墳状になっていたとの事で清重夫婦を葬った所という事です。

四つ木の駅はすぐ近くにありました。サッカーのキヤプテン翼の絵一色の駅で昔、自分の子供たちが夢中になっていたアニメを思い出した方も多くいらっしゃった様です。

久しぶりの江戸名所巡りも無事終了致しました。皆様ありがとうございました。

そして、ここで第一部を終了とさせていただきます。皆様のご協力に厚く感謝申し上げます。

次回からは第二部が始まります。ますます面白い場所を巡る予定です。宜しくお願い申しあげます。

秋日差し大注連縄の照り映える

松越しの爽やかな風大伽藍      豊治

 

地蔵守る河原ありけり曼珠沙華    慶月

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