江戸名所巡り 第五回 両国界隈(前編)

7月17日(火)、21日(木)、21日(土)の三日間、両国界隈を巡りました。

3月から始まった江戸名所巡りも今回で5回目となりました。熱中症が危ぶまれる中、有志の皆様が集まり、JR浅草橋駅東口を10時に出発しました。

神田川に架かる浅草橋を見ながら進むとすぐに柳橋に着きました。手前に創業安政元年の亀清楼があります。大相撲の横綱審議会が開かれる所です。橋の欄干には柳橋芸者を表す簪のレリーフがあり、進むと赤や緑、青と簪の色が変化していきます。

柳の樹もありました。橋を渡った所に柳橋と両国広小路の説明板があり明暦の大火で10万人に及んだ死傷者を出した事で橋と火除地としての広小路が造られたことが記されてありました。

10時半頃、大橋(両国橋)ばたの広重の絵と両国花火の絵を見ながら説明を聞きました。武蔵と下総両国に架かる大橋で両国橋と呼んだという話に大きくうなずき納得するのでした。江戸庶民を楽しませた花火は、最初は凶作や疫病の死者の慰霊と悪疫退散を祈願してここ両国で始まりとの事です。玉屋が川上,鈎屋が橋の下流を受け持ち花火を打ち上げたそうです。

その後、交通事情などにより現在は隅田川花火大会となり少し上流で行われています。

明暦2年(1656)創業の大木唐辛子店がありました。

両国橋西詰一帯の広範囲に幕府の米蔵があり、矢ノ倉といいました。米を搬入する為に水路が彫られました。これが後世まで残された薬研堀という事です。

薬研堀不動院へ道を進みました。不動尊の幟の間を登りました。御本尊は紀州根来寺に安置されていたが秀吉の根来攻めにより東国に逃れ隅田河畔に安置されたのが始まりとの事です。みんなでお詣りしました。庭には弘法大師の像がありました。

賀茂真淵の旧宅跡の説明板がありました。国学の振興に尽力した人です。

明治座の横を通り浜町公園に着きました。熊本藩細川家の下屋敷跡です。木陰がとても嬉しいです。加藤清正を祀っている清正公堂がありました。

2,3分すると新大橋がありました。明治45年に架けられた新大橋は関東大震災(大正12年)の折、火災を免れる人々が橋詰の派出所の巡査の誘導や適切な処置(燃えやすい荷物を捨てた)により多くの人々を救い人助け橋と呼ばれるようになりました。その説明板と避難記念碑を見ました。

そして現在の新大橋を渡りました。中央に橋の由来や広重の江戸百景のレリーフがありました。前回歩いた場所に新大橋跡がありましたが、あの場所が江戸時代の橋の場所です。

橋を渡り切り公園に入ると安宅丸由来碑がありました。北条氏が造船した舟で400人の水夫が200本の艪で交代して漕いだと言われています。米4000石(1万俵)を乗せられました。その後、豊臣・徳川の手に渡り、御船蔵のこの地に繫がれましたが家光の時代に新造船にとってかわられ解体されたとの事です。白鳥の親子の置物にほっとしながら水分補給をしたりして次へと進みました。

15分余り歩いて少し離れた菊川駅前に長谷川平蔵宣以の住居跡がありました。池波正太郎の小説で鬼平犯科帳の主人公のモデルでもあります。火付盗賊改加役の役宅として使用し49歳でこの地で逝っています。叉、拷問の手洗さは町民を恐れさせましたが、松平定信に意見書を出し受刑者救済の授産所を実現させたという話もあります。

平蔵の孫の代には、遠山金四郎の屋敷となっていたというのもちょっと面白い話です。

又、同じ場所に戻ってきました。

途中,新大橋通りを右に折れ12時13分頃に真言宗弥勒寺に着きました。行基作といわれる本尊弥勒菩薩から弥勒寺としました。江戸名所図会から当時の大きさが分かり驚きました。杉山検校の墓もあります。

すぐに臨済宗要津寺がありました。芭蕉句碑に前回の芭蕉庵での事などを思いだしました。12時半すぎに初音森神社に着きました。ここでは安政年間の幟立が残っていて印象的でした。

江島杉山神社には直ぐに着きました。ここは鍼術杉山流の祖である杉山和一が幕府より2700坪の宅地を賜った際に信仰していた江島弁才天を勧請したのが始まりです。検校のレリーフもあり盲人教育の開祖を云われ、点字の説明が表示されていました。境内の奥には江ノ島弁才天を模した洞窟が造られていました。

40分頃、赤穂浪士が討ち入りした後、最初に渡った橋である一の橋を渡りました。

立派な春日野部屋の前を通りました。一階が稽古場、2階が大部屋、三階は11代春日野親方の自宅という事です。最近は栃ノ心(大関)が注目されています。

赤穂浪士休息の地の説明板や石尊垢離場跡説明板を見て進みました。俳諧、茶事に通じていた赤穂浪士の大高源吾の「日の恩やたちまち砕く厚氷」の句碑を見ました。

 

いよいよお楽しみの昼食です。ももんじ屋は火曜日がお休みだったのですが木、土曜日は享保3年(1718)創業のももんじ屋に入った方が多くいらっしゃいました。山くじらすき焼と書かれた店の中の2階の部屋に入りました。ランチ1350円とお手頃で猪肉の好き焼と鹿肉のローストの薄切りが少々ついていました。50分位、ゆっくり出来てほてった身体を冷やす事が出来ました。

 

火曜日には、昼食は江戸NOREN12店で好きな店を選んで入り楽しむ事が出来ました。ほてった身体を冷たいもので冷やそうとした人もいました。

塩分補給に明太子と高菜のお茶漬けもなかなか美味でした。土俵が真ん中に造られているのは、さすがに両国駅前だと感じました。

 

後編に続きます。

 

 

 

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