江戸名所巡り 第五回 両国界隈(後編)

お昼を済ませて、13時30分頃になっていました。暑い中を午後の部の始まりです。午前中の暑さは午後、益々増していて気温は34度か35度に達していたと思います。

旧国技館跡を通り回向院参道へと入って行きました。浄土宗諸宗山無縁寺回向院は明暦3年の大火の死者10万人を幕命で葬った万人塚が始まりとの事です。

力塚の碑は相撲協会が建立し力士の髻(モトドリ)や死亡した力士の分骨を納めています。又、一葉観音の美しい像の曲線美にも心引かれました。水子塚の廻りの風車がとても哀れを感じました。鼠小僧次郎吉の墓は市川団十郎が狂言で大当たりをした御礼に明治9年に建立したとの事です。目猫塚は日本橋の時田家が逼迫した時に愛猫が小判を咥えてきて、家運も隆盛に向かい猫の死後に供養したとの事です。

 

ぼうずしゃものお店の看板を見上げました。店名の由来は初代が喧嘩の仲裁をするのに頭を丸めた事からきています。資料の回向院、柳橋の色あざやかな絵を見ました。又、勧進相撲の状況の図絵も細かく描かれています。どちらも両国橋のお向こうに富士山があります。

与兵衛寿司発祥の地とありました。屋台から店を構えられる程となり狂歌にも詠われる人気ぶりという事でした。江戸握りは小泉与兵衛が創ったという事です。

大きなビルの様な真言宗大徳院がありました。弘法大師の大と徳川家の徳を合わせて大徳院したとの事です。

 

出羽海部屋がありました。現在話題の関脇御嶽海が所属している部屋です。

塩原太助の住居跡がありました、薪炭商人として成功した人で太助が次回に訪問する亀戸天神に寄進した灯篭が今も境内にあるとの事です。

そしていよいよ吉良邸の裏門跡という立札がありました。少し進むと講師がここが上野介が隠れていた物置辺ですといいました。灰色の濃い古い建物がありました。

 

当時2250坪あったが今はほんの一部しかない吉良邸に入りました。首洗い井戸(おしるし洗の井戸)が目に入りました。上野介の座像や犠牲になった家臣の供養碑もありました。そして吉良上野介の追慕碑などを見ながら影になっているので一息入れる事ができました。講師の話によれば幕府隠密の報告書であること土芥寇讎記(ドカイコウシュウキ)によると浅野内匠頭や家老の大石が批判されているとの事で、時代劇の様ではないらしいことが分かりました。

 

本日のメインの場所でしたのでじっくりと説明を聞きました。

すぐに吉良邸正門跡がありました。又、しばらくすると駆逐艦の錆びた錨が置かれていました。日露戦争当時の駆逐艦の錨という事です。特に男性の方が見入っておられました。

すぐ近くに芥川龍之介文学碑がありました。龍之介は京橋区入舟町に生まれここ本所小泉町に住んでいました。杜子春の一部が刻まれていました。会員の方は龍之介の小説で何が浮かんできたのでしようか。筆者は蜘蛛の糸が思い出されました。

又すぐに両国公園に入りました。勝海舟生誕の地とありました。よく見かける勝の若い写真が大きく表示され歩みが紹介されていました。

 

公園を進むと幕臣の洋学者・教育者の尺振八の説明板や共栄学舎跡がありました。

現在、両国小学校があるところは共立学舎跡だったのです。暑さの中を水分補給しながら進みました。

龍之介生育の地とあります。龍之介が育った頃の街はどんな佇まいだったのでしょうか。

路地を進むと横網横町とありました。そして国技館の前を通りました。大相撲のチケット売り場が見えました。

船橋聖一生誕地には代表作の「花の生涯」の碑がありました。

15時頃、安田庭園に着きました。回遊式大名庭園で本庄松平氏の下屋敷だったところです。元禄時代に本庄宗資が造園しました。明治24年に安田財閥の創始者である安田善次郎の所有となり逝去後、故人の遺志により東京都に寄附されました。火曜日は花嫁さんの撮影があり、とても華やかな庭園となっていました。10分位の急ぎの鑑賞で次へと進みました。

2〰3分で横綱公園にある東京都復興記念館に入りました。関東大震災の記録がVTRでも見られました。慰霊堂の中は冷房がなく扇風機だけでしたが一通りぐるりと拝見して正面には祭壇があり犠牲者に哀悼の意を表す事が出来ました。

私たちは昔も今も、逃れられない災害に襲われながらの暮らしがずっと続いているのだと空恐ろしくなりました。

蔵前橋通りを横切り徳の山稲荷に着きました。本所築地奉行だった徳山五兵衛の屋敷にあった稲荷社です。

こちらにも井戸があり。日本左衛門首洗井戸碑があり、強盗を働いた浜島庄兵衛の首洗井戸です。

10分位歩き野見宿禰神社に入りました。相撲の神様は鎌倉街道上道(上野国)で昨年神社に行きました。初代高砂親方がこの地に創建しました。

少し歩くと北斎美術館がありました。この場所が北斎の生誕地という事です。富岳百景があまりにも有名で、世界的に評価されています。南割下水についての説明板もありました。江川太郎左衛門屋敷前跡の説明板もありました。江戸湾お台場の築場や大砲の鋳造など幕末の知識人でした。

16時過ぎ江戸東京博物館の変化に富んだ建物が見えてきました。ことらも希望者のみの鑑賞です。

本日は北斎美術館で解散となりました。猛暑の中を無事終える事が出来ました。皆様、大変お疲れ様でした。8月は夏休みとさせていただきます。

皆様、どうかお元気で過されますように。9月の最終週ですが江戸名所巡り第六回(亀戸界隈)で又お会いしましょう。

 

仄暗き夏の灯の間やももんじ屋   慶月

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