江戸名所巡り  第二回 湯島本郷界隈

江戸名所巡りの第二回目は4月の17日(火)、19日(木)、21日(土)の3日間行われました。

若葉の美しい季節となり、お茶の水駅前を10時にとても気持ち良くスタートできました。
まず信号を渡り前回見た太田姫稲荷の元宮の木の前に立ちました。

聖橋を渡りながら景色を鑑賞しながら進みました。湯島聖堂の横を通り右に折れると神田明神ですが門前横のあまざけ屋の天野屋さんの話を聞きました。

 

江戸の後期、丹後宮津藩から兄の敵討ちで江戸に出てきて、人通りの多いこの場所で敵を探しながら糀屋と茶店を構えて今に至っている話と、敵討ちの決まり事などをききました。敵討ちの番付表まであるのですから、何でも番付表にして楽しむという何と面白い時代だったのでしようか。

神田神社という大鳥居をくぐり坂を上がります。神田明神は江戸総鎮守で大きな随身門がまず目に入ります。大己貴命、少彦名命、平将門がご祭神とあります。大黒様の逸話、因幡の白兎などの彫刻や、中国の四神である青龍、白虎、朱雀、玄武が東西南北を守っています。

何ときらびやかな門で、多くの願いを盛り込んだてんこ盛りともいえる飾りを一つ一つ見ました。後ろには将門の馬もちゃんと金色に輝いていました。

大黒様の像がありました。少しおいて、少彦名命が波に乗ってる像があり、一寸法師の話の原型と知りました。

そして拝殿にお参りします。神紋や天水桶。明治天皇臨幸記念碑、石獅子と内側も盛り沢山のものがありました。土曜日は次々と結婚式の儀が執り行われていて、そちらの方にも目を奪われてしまいました。

又、広重の絵の神田明神曙之景の場所にも立ちました。たしかに下が崖になってビルが建っていますが昔の様に海は見えず、ここから美しい曙を見た江戸時代を想像するのみでした。

本殿の権現造の豪華絢爛な横を通り脇にある銭形平次の碑へと移りました。昭和6年野村胡堂が発表したとの事で私たち世代は大川橋蔵の美しい顔が浮かんできます。発起人の碑、平次の碑、平次の横に小さく八五郎の碑もあり笑いが起こりました。

又、国学発祥の碑があり、江戸時代、神田明神の神主家(平田家)で国学の講演会が行われていたそうです。いろはにほへとから、あいうえおの母音、子音などが確立されたのもこの時代と聞きました。

「山茶花の散るや己の影の中」の句碑もあり境内の七つの鳥居もさっと巡りました。藤の花が美しく咲いています。力石があります。

清水坂下の交差点から4、5分で妻恋神社に着きました。日本武尊が三浦半島から房総に渡ろうとした際に荒れた海を鎮めるために海に、弟橘姫乃命が身を投げた話はあまりにも有名です。この地に武尊は妃を祀ったのが始まりで江戸時代に稲荷を合祀したとのことで赤い鳥居も中にありました。

11時過ぎに訪ねた霊雲寺は徳川家の永代祈祷寺として100石の朱印の真言宗の寺です。五代将軍の綱吉より当地を得て浄厳律師覚彦が開創しました。資料の名所図会には江戸の下町生まれの其角の句が書かれていて本堂の大屋根は絵でも大きく、現在は昭和に再建されたもので高々とそびえていました。

門の前の石柱の字に私たちは注目しました。辛い物、匂うもの、酒、肉を食べた者は内に入るを許さないという意味のことが示されていました。

皆さん誰も入れませんねと講師は笑いました。江戸の人々もかなり難しかったのではと感じました。

11時14分、湯島天神の鳥居を潜りました。修繕の記録が刻まれていました。

包丁塚と筆塚が並んでありました。撫で牛がどうして天神にあるのかは良く聞きます。菅原道真が亡くなり、京都に運んでいる時に牛が座り込み動かなくなっというのです。道真がこの場所がいいとの意思を示したと考え太宰府天満宮に祀られたと伝えられています。

撫で牛を私たちも撫でて次へ進みました。奇縁氷人石は江戸で一番古い迷子の石標です。泉鏡花の筆塚を見て梅鉢と牛の親子の神紋を見ました。

青梅の実がなっています。

すぐそばに心城院があり湯島天神の別当院との事です。

江戸名水でまっすぐな美しい髪になるという柳の井を見て水琴窟の美しい音色を聴きました。その後、天神様の境内に戻り講談発祥の碑を見ました。

ガス灯が一基ありました。昭和40年頃に撤去されたのですがその後、明治の文明開化のシンボルのガス灯を設けたとの事です。佐伯孝夫作詞の湯島の白梅の中にも出てきます。

王貞治氏国民栄誉賞記念の努力の碑の力強い字を見る事ができました。

ここからの眺めという広重の雪景色の絵を見て天満宮を後にしました。映画の主題歌、湯島の白梅で全国的に有名になった切通坂は、石川啄木が朝日新聞の夜勤帰りに通ったとのことです。急坂を通り教證寺へ向かいます。

ここには、柳瀬美仲の墓があります。江戸中期の歌人で「はつせ路や初音聞かまく尋ねてもまだこもりくの山ほとぎす」この一首で、こもりくの美仲先生と呼ばれたとのことです。

すぐに旧岩崎家庭園(住宅)に着きました。65歳上は200円です。こちらの地は榊原式部大輔中屋敷跡で維新後は一時、桐野利明が住んだ時期もあったとのことです。その後、三菱財閥の岩崎弥太郎邸となりコンドル設計の洋館は国の重要文化財です。各部屋には暖炉があります。和館も少しですが残されていました。外に出て庭からの洋館を鑑賞しました。芝生の間に和タンポポが沢山小さな花をつけていました。

離れた場所にビリヤード室があり出口に向かうところに牡丹の花が丁度見頃で何とも美しく咲いていました。

無縁坂を登り講安寺へと向かいました。さだまさしの曲が脳裏に流れます。「この坂を昇るたびにいつもため息をついた・・・・忍ぶ不忍無縁坂かみしめるようなささやかな僕の母の人生♪♪」

講安寺は漆喰で塗られた土蔵造りの寺です。家斉の側室お美代の方が落飾後40年余りを過ごしたそうです。石の三重塔が小さく立っていました。

岩崎庭園の周りの静かな通りを歩き麟祥禅院に入りました。春日局菩提寺であり明治時代に哲学館があった所です。山門の扁額をくぐると寺の顕碑の台座に亀ふ(キフ)が彫られてありました。宋代に龍の子供の一人で贔屓(ヒイキ)といい、亀に似ていて大変なことを負担するのを好んだというものです。

家光の乳母になった春日局の墓は死後も江戸の政治をよく見るという意味で丸い穴が開いています。

稲葉氏の紋(元婚家)と葵の紋に局の権力を感じるのでした。

すぐそばに和菓子の壺屋がありました。

寛永年間創業で明治維新の時に徳川様にお世話になったからと店を閉めたところ勝海舟に止められたという話が残っています。最中の甘いこと甘いこと、江戸時代の人は甘いのが好きだったのでしようか。前回の庄之助最中よりすった甘く感じました。

江戸時代の地図を見ながら加賀家と旗本の近藤家の喧嘩の話を聞きました。又、北方には御長屋が幾棟もずらりと並んでいました。江戸詰の人達の住居だったのでしよう。

買い物をすませるとすぐにかねやすに着きました。江戸時代、兼安は口入医師で歯磨きや歯ブラシを扱っていましたが明治以降は小間物屋だったそうです。最近はシヤッターが降りたままです。「本郷もかねやすまでは江戸の内」が有名です。

 

「御府内」は瓦ぶきの家と決められていたとのことです。樋口一葉も買い物に来ていたというかねやすを後に東大を右手に見ながら進みます。

一葉の「ゆく雲」の中に書かれている腰衣観音さまがいらっしゃる法真寺へと左に曲がりました。濡れ観音さまはいつの間にか屋根の中にいらっしゃいました。

一葉らしき像が観音様のわきに造られていました。

 

そばの喫茶の側もどんどん綺麗に飾られていくようです。処分されようとしていた庚申塔を見て魂を抜きこちらの窓辺に置かれたと、いつかご住職が話されていました。彫りもよくわかる全体像と二猿を私たちは見て通り過ぎました。

すぐに曹洞宗喜福寿寺に着きました。こちらは有名な佐藤紅緑、金田一京助、久保田万太郎の墓があります。

5分後、ようやく東京大学の赤門をくぐりました。11代将軍家斉の息女溶姫が加賀前田家に降嫁した時の御朱殿門があまりにも有名ですが黒門が正門と知りました。安田講堂の前を通り13時40分、新しく改装した学食にやっと着きました。ちょっと豪華に張り込んだつもりでも680円、レシートにはカロリーも出ています。

ゆっくり出来ないままに集合の時間が来てしまい、三四郎池を一巡しました。藤の花が池に垂れて若葉が映り何とも清々しい気持になりました。

東大病院はとても混んでいます。池の端門から出て境稲荷に着きました。

境稲荷には弁慶が奥州に落ちて行く時に立ち寄ったという鑑の井がありました。

15時すぎに日蓮宗大正寺に寄りました。1854年日露和親条約を下田で締結した川路聖謨の墓があります。

突然、東京大学医学部戦没同窓生之碑が現れました。見るとフイリピンレイテ島、ルソン島、ビルマ、マリアナ、アアリユーシャンの名に目を奪われました。日本の大切な頭脳が虚しく彼方に散った事を私たちは忘れてはなりません。

暗闇坂を抜けると弥生式土器発掘ゆかりの地碑があります。縄文式土器は祭事の時の器であり弥生式土器は生活に使用されていたという事が大きな違いだと聞きました。

15時31分、お化け階段を上り下りしました。39段?、40段?一段違うということですが私たちはもう疲れていた確かめる事をする元気もでません。

何と2分で根津神社です。つつじ祭りの最中で私たちはうっとりと見とれてしまいました。

本殿、青銅灯篭、千本鳥居のそばには家宣胞衣塚もありました。夏目漱石や森鴎外が座り想いを練ったとされる文豪想いの石のそばで本日は解散しました。

本日も何と盛り沢山の場所を訪問した事でしようか。益々東京という街に興味が湧いてきます。

次回以降も大変楽しみですね。皆様本日はお疲れさまでした。

 

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