鎌倉街道上道第三回  鮎川から神流川

12月13日(火)と17日(土)の両日で37名の皆様のご参加で10時過ぎに群馬藤岡駅に集合しました。 タクシーに乗り合わせ鮎川の公民館まで移動して本日のあるき隊のスタートです。img_6176

img_6177冬晴れの中、10時40分頃に公民館の火の見櫓前を出発しました。5分で道標を見て進みます。 img_6179img_6285img_6180山々の間に真っ白く谷川岳が見えます。麦畑には10センチに伸びた葉が出ています。 11時過ぎに小さな白山神社に着きました。鳥居も狛犬も神鈴も手水も何もない簡素な建物に細い縄に四手が下がっていました。資料では全国で8番目に多い神社という事です。img_6288大正9年の国勢調査記念碑がありました。大正9年(1920)から以来5年毎に行われ現在に至っています。 img_6184 すぐに庚申山へ登る道があり、私たちは近道を通る事にしました。落ち葉ですべりやすく倒れた枝や切株をよけながら気をつけ気を付け登りました。img_6292img_6187img_6185思ったより早く11時半には山頂と云っても広場になっている場所に着きました。img_6191 img_6295北側と南側にベンチやテーブルがあり、東には庚申塔が集められていました。西側には展望台があり二階と三階共に椅子とテーブルがありました。 30分の昼食タイムを取りました。体を動かした後のお弁当の美味しいこと。眺めもよく気持ちのいい時間を過ごしました。img_6196img_6299img_6297 12時少し過ぎに山頂を後に緩やかな下りの坂を降りていきました。img_6200 二十二夜尊は平成元年とありました。右手を頬にあて思考にふける半跏思惟像の彫りはとても美しく感じました。 img_6204img_6205自動車教習場を見ながら竹藪の道を行き止まりまで鎌倉街道を数十メートル歩き、引き返しました。 img_6207 img_6210 山茶花の垣根の美しい道を折れると龍田寺です。車竜胆紋が、すりガラスに透明な模様で浮き上がっていました。これは村上源氏の紋です。img_6306img_6308 img_6212庚申塔群の中に巳待塔があり、この地で多くあった養蚕農家の蚕の敵である鼠を、蛇が食べてくれる事からによる信仰との話を聞きました。img_6213   先程、途切れた道はここに繫がっているという場所を見ました。竹藪がうっそうとしています。室町時代に孟宗竹が伝わったそうで鎌倉時代には、また違った光景だった事でしよう。img_6220 img_6221

一級河川の笹川を通ります。一級河川とに二級河川、準用河川の違いを講師より聞きました。最上川だけが例外で山形県内だけを流れているとのことです。芭蕉の、五月雨を集めて速し最上川 を思い出します。img_6224

美九里小学校の校庭の脇に鎌倉街道が通っていたとの説明板があり、大きな楠は日清戦争勝利の記念樹という事です。街道は校庭を斜めに横切っていたそうです。立派な屋根付き土俵に私たちは驚きましたが理由は後に分かりました。 img_6226img_6319img_6318また、美九里小学校の前の道路は、鎌倉街道山道との説明に私たちは、秩父の方角を見て想像を掻き立てられるのでした。img_6228

樹形の美しいメタセコイアの横を1時頃通りました。畑の真中の道を進みます。 img_6230 img_6231そして、畑の中へと入り込み小さな祠の前まで進みました。木曽義仲の若き愛妾の葵御前を祀っていました。義仲亡き後一族を頼り子供と共にここまで逃げたが、あと一歩のところで捕えられ殺されたとの事。横の板石は葵御前が隠れた石橋と云われています。 img_6236img_6234img_6235800年以上前の出来事が永々と伝えられている話を知り得たことに喜びを感じながらのどかな道を進みました。 立派な上州造りの屋根が目に入ってきました。 img_6238img_6239ビニールハウスのはるか向こうに山々の美しい稜線が浮かんでいます。

私達は神流川に着きました。名の由来の話やら昔はこの土手堤はなく水量があふれた時はこの辺まで水が来ていたと講師は話します。 img_6241img_6243まっすぐに続く神流川を後にして庚申塔の集められている横を通り土師神社へ進みました。 img_6245img_6246土師神社の祭神は野見宿禰で、都から招かれこの地で埴輪を焼きました。又、力比べで名をはせていた当麻蹴建を負かした事から相撲の神様とも言われています。赤い鳥居の奥に土師の辻と呼ばれている土俵があります。此の地は相撲発祥の地だったのです。拝殿の壁には大鵬の「忍」の一字額や昭和46年奉納の大鵬、柏戸、北富士、佐田山の手形額が掛けられていました。私達は薄くなった手形に目を凝らして見つめました。img_6333 img_6250img_6249 img_6252 5分程で埴輪窯跡に着きました。埴輪という大昔のことを私たちは目の当たりにしているのです。窯の跡が建物で守られて、ちやんとあるではありませんか。img_6262img_6259 img_6256明治39年に発見され昭和18,19年に発掘されたとの事です。人物、馬、家、太刀、矛、盾が出土したそうです。相撲の祖の野見宿禰は、垂仁天皇の命を受け殉葬者を埴輪に代える改革をし、土師氏後に菅原氏を賜ったそうです。img_6264 そして本日最後の訪問先である諏訪神社へ2時半頃に着きました。こちらに埴輪を必要とした前方候円墳があるのです。その古墳の上に建つ諏訪神社ヘ先ずお参りをし、古く痩せた狛犬にも注目しました。そして古墳の入口を覗きました。朱の太鼓橋が池に映り美しい光景です。img_6266 img_6267img_6273img_6276

途中で地元のスーパーでトイレ休憩を取り3時半すこし前に八高線群馬藤岡駅に無事到着しました。img_6354一時間に一本しかない八高線ですが余裕をもって行動が出来ました。3時43分、一行は埴輪の地を後にしました。 12月のお忙しい時期に大勢の方々のご参加、本当にありがとうございました。 img_6277 img_6278皆様どうか良いお年をお迎えくださいませ。

新年の第四回上道で元気にお会いいたしましょう。 img_6342img_6344

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