鎌倉街道三浦道 第一回 田浦から逗子

二回に分けて三浦道を歩きますが本日はその第一回目です。両日で28名のご参加でした。10月4日はぐんぐん気温が上がり真夏日となってしまいました。このところしばらくは涼しかったので、この日は熱中症に気を付けながら歩きました。8日は雨が昼過ぎまで降り、どちらも大変な歩きとなってしまいました。

img_5330img_5333日本書紀より三浦の地名が御浦郡からきていることを知りました。img_5246

しばらくの間、自衛隊の病院や学校などの横を通りました。有刺鉄線が張り巡らされている所もあり、さすがに土地柄だと感じながら進みました。img_5247

img_5249隧道を抜けて景徳寺へ着きました。行基作の十一面観音が本尊として伝えられています。img_5339

観音堂が刈込の奥に静かな佇まいでありました。img_5341img_5340

階段を上がり、10時には船越神社に着きました。立派な狛犬が迎えてくれました。img_5257img_5258

 

 

高くなっている場所で見晴らしもよく樹齢160年の銀杏の御神木が大きくなり過ぎたので、平成14年より植樹された御神木の梛木の木を皆で眺めました。針葉樹なのに広葉樹の葉形の珍しさに感心しました。熊野ではこの木を神木によくしているとの事です。img_5259船越新田の守り神として様々な神社を合祀しながら今に至っているそうです。半島の付け根のこの場所は昔の船着場があり重要な所だったのでしよう。

陸軍大将一戸兵衛は乃木将軍の友人であったという忠魂碑のことや、集められた庚申塔の説明も受けました。img_5263img_5264

途中、造船工場の前を歩きました。男性の方が見上げながら、何トンくらいかなと呟きました。img_535130分位で榎戸湊に面している八王子社に着きました。img_5352

浦郷公園は町内会館があり、子供達の広場になっていました。鎌倉時代には金沢(六浦)、榎戸、浦賀の三湊の一つとして重要だってとのことです。

すぐそばに時宗の能永寺は、開山は古く1394年ということです。踊念仏の一遍上人像が建っていました。img_5273img_5269

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次に正観寺の坂を昇ります。天台宗の智証大師作の阿弥陀座像と薬師如来があるとの事です。img_5276img_5275

上からの眺めが開けていて住宅の屋根の向こうに水辺が見え小さな船も見えていました。img_5278

一面の石に掘られた一石六地蔵様にもお参りしました。どくろの首飾りをされている庚申塔も見ました。img_5274

梅田隧道の薄暗い中に入っていきました。img_5282img_5366

お昼は白若稲荷社、または側にあるコンビニのイートインとなりました。稲荷社は船越三郎左衛門が祠を背負って田越村(旧鎌倉道)より移したということです。8日は雨のため皆でコンビニへ、椅子が足りないところ、譲り合ってのお昼となりました。

午後はすぐに坂道を上がり始めました。30分位で着いたのは日蓮宗の法勝寺です。幼稚園が前にあり、本堂の後方には源義朝の館があったと言われています。img_5368img_5370img_5371img_5369

沼間の鎮守である五霊神社で水分補給をしました。大銀杏は樹齢800年以上との事です。img_5290

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さて、本日一番の難所と云える神武寺へと向かいます。頼朝が平家追討祈願の為に文覚という僧を住持させた寺院です。img_5295img_5297img_529820分位で逗子八景の一つの神武寺の晩鐘に着きました。白壁の塀の横の階段を昇ります。img_5300img_5301

2~3分で赤い山門を潜りました。屋根が美しく、今年の8月に塗り直したばかりという天井の青龍や朱雀、白虎、玄武の絵も鮮やかで苦しさを忘れて眺めました。img_5302img_5311

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薬師堂の前のナンジャモンジャのホルトの木は平賀源内がオリーブと間違えたとのことです。実が本当によく似ていました。

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img_5303薬師堂の屋根の形がとても美しく感じました。

img_5312急な階段を下り始めました。滑らない様に気を付けて下りました。余りにも過酷だった神武寺を後にしながら、よくぞ頑張ったと自分を褒めたいと思ったのは私だけではなかったはずです。

真言宗の光照寺へは20分で着きました。源義朝の長男の義平の菩提を弔うために建立されたと言われています。img_5318img_5319

 

又数分で曹洞宗の海宝院に着きました。茅葺の趣のある門を入りました。家康の代官頭の長谷川長綱の創建で四脚門・梵鐘それぞれ立派なものばかりです。img_5320

樹型の美しい木のタラヨウや梛木の木がありました。img_5326

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長い参道を後にして狭い道を進むと観蔵院の石段が見えてきました。

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img_5388桜山とよばれるこの地の桜を鎌倉時代に夢想国師が吉野山に移植したと言われています。「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」の西行が見た吉野の桜から百年余り後の世の桜なのでしょう。高野槇の緑が美しく、小さな松ぼっくりを付けていました。img_5389

石碑群の中に浅間を「仙元大菩薩」とした珍しい碑を見つけました。img_5393img_5394

img_5395延命寺は、逗子の地名の由来となった弘法大師が立ち寄った際に、地蔵尊を安置する厨子を設けたとの事です。また地図を描く図師が住んでいたとも言われています。寺は三浦氏や北条氏の祈願所でもありました。そして三浦主従の七基の宝篋印塔があります。img_5403

清水橋を渡ると後鳥羽上皇が北条氏を討伐しようとした承久の乱で三浦義村、胤義兄弟が上皇方と幕府方に分かれて戦い、負けた上皇方の胤義の子息四名がこの田越川の川原で処刑されたのです。碑の周りには秋草が生い茂っていました。img_5407

本日最後の亀岡八幡宮に4時前に着きました。大きな亀の石像がありました。亀の背に似た地形からの名前と言う事です。それから真っ赤な萬栄稲荷の鳥居をくぐりました。img_5409

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4時頃、本日の終了地点であるJR逗子駅に到着です。両日ともに大変お疲れさまでした。

どなたかが、苦しかったのもいい思い出として忘れないものよとおっしゃいました。img_5414

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