二部 第九回(後編)高田馬場・戸山界隈(午前の部)

5月12日(火)と16日(土)コロナの影響で4ケ月ぶりに江戸名所巡り催行致しました。皆様との再会を喜びながらJR高田馬場戸山口を十時頃出発しました。

5,6分で真言宗豊山派玄国寺に着きました。墓地の方から入ると土曜日には田植地蔵が見えるようにお堂の扉を開けて下さっていて感謝しながら拝見しました。

「田植地蔵ものがたり」

昔々、玄国寺のある諏訪村の周辺は水の豊かな水田地帯でした。田植の忙しい頃に毎年、どこからともなく一人の旅の僧が現れ田植を手伝います。村人がお坊様のことをたずねてもただにこにこと笑って仕事に精を出すだけです。感謝の印に村人がおもてなしをしようとしても旅の僧はすっとどこかに行ってしまうのでした。田植がすっかり終わった日、村人は玄国寺のお地蔵さまにお詣りするとどうでしよう、お地蔵様の衣が膝の辺りまで泥にまみれていたのです。手伝ってくれていたのがこのお地蔵様と気づいたのでした。

戸塚の旗本屋敷の井戸から出土し田植の時期には旅僧の姿となり田植を手伝うという伝説が残っています。すぐ隣の本堂に移動しました。樹齡約500年の松の奥には岩倉具視が住んでいた家屋が移築されています。昔のゆがんだ手作りガラス窓が珍しく内には洋間があるとの事でした。屋根には家紋の笹竜胆が付いています。本堂の右手にはウコンザクラ(鬱金桜)が満開でした。ご住職や奥様にもご案内をして頂き50年ぶりに咲いた藤の花を見せて頂きました。樹齢約500年の松ポックリを一人一人受け取りお土産となりました。虚子の句碑「雀にも好きな枝あり夏木立」は立派な石でした。庚申塔や六角弁天堂も拝見してお寺の人たちに見送られながら次ぎへと進みました。

諏訪神社の鳥居をくぐりました。ご神木は夫婦楠でとても立派で二本が根本付近で交わっていました。古くより眼病、諸病に霊験のある湧水があり我々も手を濡らしました。

諏訪神社に隣接する森は「思いの森、恋の森」と呼ばれ平安時代の在原業平夫婦の話が残っています。

諏訪町の交差点を渡ると朱の門が見えてきました。学習院の旧正門です。八重桜の木が大きく満開の枝を広げ学習院女子大学の地を飾っていました。

東に折れ10分位で戸山公園に入りました。尾張藩屋敷跡は御三家だけあり広大な敷地に現在はこの戸山公園、国立国際医療センター、戸山ハイツ、学習院女子大学、西早稲田中学校、戸山高校、東戸山小学校、早稲田大学文学部などがあります。戸山公園のそばに戸山ハイツがあります。戦後、空地になっていた事から昭和24年、日本最初の水洗トイレ付集合戸山ハイツが誕生しました。

そして11時10分頃に箱根山の頂上に立ちました。44.6メートルです。1703年に大名庭園が完成し、この場所は小田原宿を模した所で箱根山となったのです。

箱根山地区は明治6年から陸軍学校があり昭和20年9月に解放されるまで続き現在は将校会館の石垣が残り地上には戸山教会が建っています。そして鎌倉時代に今話題の「鎌倉殿の十三人」の一人である和田氏の領地であった事を知り歴史の面白さを感じました。

この都立公園をぐるりと回り大通りに面した高層マンションを右に眺めながら新大久保の商店街に入りました。午前中、最後の夫婦木神社にお昼頃お詣りをしました。日本で最初に結婚した神様(伊弉諾と伊弉冉)で縁結び、子授けの神として、この小さな神社はとても人気があるようです。

12時から1時までコリアンタウンでお昼です。Kポップ風のお兄さんが赤いスーツで歩いています。最初にあったお店に入ると前菜のキヤベツがドーンと出て海鮮石焼きビビンバが美味でした。

午後の部に続きます。